フレイザー・ナッシュ-BMW 326 当時のベスト・サルーン 80年のサバイバー 前編

公開 : 2022.02.06 07:05  更新 : 2022.08.08 07:16

欧州で高水準な乗用車を一般化させたBMW 326。英国でも少数ながら生産されたクラシックを、英国編集部がご紹介します。

アウトバーンを110km/hで駆け抜けるため

ピンチはチャンス、という考え方がある。望ましくない状況から、望ましい結果が生まれることもゼロではない。例えば、独裁者のアドルフ・ヒトラーが自国の自動車へ免税を実施しなければ、ドイツは現在のような自動車大国になっていなかった可能性もある。

自動車を発明したといえるドイツだが、技術的に進んだ自動車産業の価値を理解し、早期に国を挙げて推進していた。そんななかで、望まれない戦争へ向かおうとしていた1936年、BMWは新型サルーンの326を発表している。

フレイザー・ナッシュ-BMW 326(1937〜1940年/英国仕様)
フレイザー・ナッシュ-BMW 326(1937〜1940年/英国仕様)

現代的な直列6気筒エンジンを搭載し、ナチス政権によって敷設されたアウトバーンを、110km/hで駆け抜けられる性能が与えられていた。技術的に進んだ国であるという、当時の政権が広めようとしていたムードを、見事にカタチにしていた。

BMW 328は、当時の優れたスポーツカーだった。同時に326は、欧州でのベスト・サルーンの1台だった。広々としたスチール製ボディは丁寧に溶接され軽量で、5名分のシートが備わっていた。

シャシーは高剛性なボックスセクション。シャシーとボディのフロアが溶接され、チューブラー・シャシーより強固に仕上がり、そこに洗練されたサスペンションが組み合わされていた。

ホイールベースは2896mm。同じシャシーは、長さ違いで安価な320と321のベースにもなった。需要が増えることはなかったが、3.5Lエンジンを搭載した上級な335へも展開している。

縦長キドニーグリルを生んだシマノフスキー

326は見た目も良い。デザイナーを務めていたピーター・シマノフスキー氏は、無名ながら優れた才能の持ち主。滑らかな曲面で覆われたスタイリングは、モデルレンジを通じてBMWらしさ構成する要素だった。

BMWといえば、キドニーグリルを思い浮かべる読者も多いだろう。縦に長い2本のフロントグリルを描き出したのも、そのシマノフスキー。現在へと受け継がれる、ブランド・アイデンティティを生み出したデザイナーでもある。

フレイザー・ナッシュ-BMW 326(1937〜1940年/英国仕様)
フレイザー・ナッシュ-BMW 326(1937〜1940年/英国仕様)

家族へ向けた量産車として作られた326は、グランドツアラー・クーペの327とスポーツカーの328の兄弟でもある。BMWらしい雛形を確立したモデルでもあり、2シーターの活躍と同等かそれ以上に、重要な意味を持つと考える人も少なくない。

お披露目されたのは、1936年のベルリン・モーターショー。メルセデス・ベンツと直接対峙することになった、BMW初のクルマでもあった。生産開始は1936年6月。BMWのベストセラーへ成長し、戦争が始まる1941年までに1万5936台がラインオフしている。

そのうちの約1万3000台は、ドイツのコーチビルダー、アンビ・バッド社が手掛けた4ドア・ハードトップボディが架装されたサルーン。サイドウインドウが左右合わせて6面ある、シックスライトだ。

別のコーチビルダー、オーテンリーツ社による、ソフトトップを備えた4ドアと2ドアのカブリオレも提供されている。大型モデルのオープンカーという需要も、少ないながら当時から存在していた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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