アウトウニオンにサーブ、ネッカー、ランチア 1960年代の小さなファミリーカー 前編

公開 : 2022.02.13 07:05

約60年前に作られたコンパクト・ファミリーカー。コレクターが集めた個性的な4台を、英国編集部がご紹介します。

同等モデルの倍近い金額だった輸入車

60年ほど昔の英国では、オースチンA40やモーリス・マイナー、フォード・アングリアなどが、600ポンド前後で買える小型乗用車として普及していた。一方、欧州大陸から輸入される1.0Lクラスのモデルは1200ポンド前後。売れ行きは限定的だった。

1959年に規制が緩められるまで、輸入車は英国人にとって手の届きにくい憧れの1つ。小さなファミリーカーですら、現実的な選択肢ではなかった。しかも、第二次大戦の緊縮的な雰囲気や西ドイツに対する不信感は、完全に消えていなかった。

ブルー・ツートーンのアウトウニオン1000 Sと、レッドのサーブ96、ペールブルーのランチア・アッピア・シリーズ3、レッド・ツートーンのネッカー・ヨーロッパ
ブルー・ツートーンのアウトウニオン1000 Sと、レッドのサーブ96、ペールブルーのランチア・アッピア・シリーズ3、レッド・ツートーンのネッカー・ヨーロッパ

その当時、英国の自動車市場における輸入車の割合は、たった2.5%ほど。大部分が自国産のクルマで支配されていた。その反面、英国の自動車ブランドは、長期間続いた政府による保護政策で感覚が鈍っていた。

40馬力程度の最高出力に、110km/h前後の最高速度。価格価値は優れていたが、所有や運転することへの喜びは、高いものではなかったといえる。英国以外のメーカーが生み出す、新モデルの驚異にも気付けていなかった。

ドイツのアウトウニオンも、スウェーデンのサーブも、軽く1000ポンドは超えていた。その金額を用意すれば、英国ならウズレーやジャガーといった上級ブランドのモデルを購入できたのだから、ぬるい環境だったことは確かだ。

フィアット1100のライセンス生産モデル

一方で、ヒルマンやサンビームを擁するルーツ・グループや、オースチンやモーリスを擁するBMCのショールームへ足を運ばない人がいたことも確かだ。価格差を忘れて、周囲とは違うブランドに対する欲求があったのだろう。

単なる移動手段としてではなく、趣味の延長のような、クルマ好きのためのモデルを探していた人たちだ。小さいながらも、徐々にその需要は拡大する勢いがあった。

ネッカー・ヨーロッパ(フィアット1100 D/1962〜1966年/英国仕様)
ネッカー・ヨーロッパ(フィアット1100 D/1962〜1966年/英国仕様)

英国車には設定がないような鮮やかなボディカラーと、個性的なボディライン。輸入車ならではといえる、華やかな世界を約束してくれていた。日差しが当たる通りに面したカフェや、風通しの良い明るいリビングを、イメージさせた。

1960年代が始まるまでに、今回の4台は英国でも徐々に販売台数を伸ばしていた。欧州本土では、堅調に売れ続けていた。1950年代初頭に起源を持つ、長寿命モデルになってはいたが。そんな英国へやって来た小さな輸入車を、順にご紹介したい。

まず始めは、1953年式ネッカー・ヨーロッパ。フィアット1100の、西ドイツによるライセンス生産モデルだ。ベースとなった1100は、細かなマイナーチェンジとパワーアップを重ね、フィアット124が1969年に登場するまでイタリアの定番乗用車だった。

1100は洗練された後輪駆動シャシーを備え、平均以上の活発さを発揮する、3ベアリングで支えるプッシュロッド・エンジンをフロントに搭載。従来的な技術ながら、改良を加え続けることで、長いモデルライフを実現させていた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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