ただ一人のオーナーに愛された「初代クラウン」 登録時のナンバーのまま再生

公開 : 2022.02.20 20:15  更新 : 2022.04.27 17:04

ワンオーナーの初代クラウンを、神奈川トヨタがレストア。生涯で唯一の愛車を手放すとき、オーナーは2つの条件を同社に提示しました。

ピカピカの初代クラウン初期ロット車

執筆:Wataru Shimizudani(清水谷 渉)

2月19~20日にパシフィコ横浜で開催されたクラシックモーターショー、ノスタルジック2デイズ。

その会場内で、ひときわ輝いていたのが、トヨタモビリティ神奈川(神奈川トヨタ)が出展していた、初代トヨタ・クラウン(トヨペット・クラウン)だ。

1955年式トヨペット・クラウンRS。一人のオーナーが生涯で1台だけ乗り続けた愛車。神奈川トヨタがレストアを行い、「ひゃくばんクラウン」として親しまれている。
1955年式トヨペット・クラウンRS。一人のオーナーが生涯で1台だけ乗り続けた愛車。神奈川トヨタがレストアを行い、「ひゃくばんクラウン」として親しまれている。    AUTOCAR JAPAN編集部

漆黒のボディは新車のごとく、いや新車以上にピカピカに輝き、室内も古さを感じさせない。しかも、ナンバープレートは当時のまま、陸運局の地名(品川や多摩など)が付かない「5」で始まるものなのだ。

RS型と呼ばれる初代クラウンが発表されたのが、1955年(昭和30年)1月。

そしてこのクルマは、その年の5月登録。まさに「初期ロット」と呼べるモデルだ。

その証拠が、ボンネット内のフェンダーに刻まれた熱気抜きのスリット。これは初代クラウンの、それも初期ロットにしか採用されていないものだという。

このクラウンのオーナー、仮にA氏としよう。A氏は、当時20代半ば。お母様が資金を工面してくれてこのクラウンを手に入れた。その後、ご両親やお兄様も亡くなり、このクラウンはA氏にとって家族のような存在になっていった。

以来、新しい家族ができ、クルマを買い換えようと言われても、頑なにこのクラウンを愛し続ける。他のクルマは考えたことがなかったという。

買い換えず、1台を乗り続けて「一生モノ」

展示されたクラウンをよく見ると、ボンネットのマスコットやサイドのアクセントモールなど、1955年12月に発表されたRSD型のようなのだが、実際はRS型。

これはA氏がパーツを取り寄せて、RS型をRSD型に仕立てていたのだった。

フェンダー内側に見えるスリットが、初期ロットの証。神奈川トヨタでは現在、サービス部門のエキスパートがメンテナンスを担当。実務で初代クラウンに接することはないので、不具合があれば手探りで解決していく。
フェンダー内側に見えるスリットが、初期ロットの証。神奈川トヨタでは現在、サービス部門のエキスパートがメンテナンスを担当。実務で初代クラウンに接することはないので、不具合があれば手探りで解決していく。    AUTOCAR JAPAN編集部

したがってRS型の特徴の1つだったスプリット・フロントウインドウは、1枚ガラスに換えられている。

ところで、旧車を乗り続ける場合、たいていは普段使いに新しいクルマも所有している人が多いのだが、A氏は生涯このクラウン1台だけ。

普段使いでも、このクラウンを乗り続けていた。遠出をする機会は少なかったのか、実走行は11万kmほどだった。

自宅の近くにあった神奈川トヨタのディーラーで、新型のクラウンが登場するたびに、A氏はこのクラウンを快く展示用に貸し出してくれた。しかも、パーティションなどは張らず、誰でもドアを開けて乗り込んでかまわない、みんなにこのクルマを見てもらいたいと言うのだった。

晩年、愛するクラウンに乗れなくなったA氏は、神奈川トヨタに無償で譲渡している。ただし、条件が2つ。

1. 絶対に転売しないこと。
2. 今後も一人でも多くの人に見てもらうこと。

記事に関わった人々

  • 編集

    徳永徹

    Tetsu Tokunaga

    1975年生まれ。2013年にCLASSIC & SPORTS CAR日本版創刊号の製作に関わったあと、AUTOCAR JAPAN編集部に加わる。クルマ遊びは、新車購入よりも、格安中古車を手に入れ、パテ盛り、コンパウンド磨きで仕上げるのがモットー。ただし不器用。

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