エンジンはDB5 ヴァンテージ仕様 アストン マーティンDB4 価値あるモディファイ 前編
公開 : 2022.03.26 07:05 更新 : 2022.08.08 07:13
アストン マーティンの技術者が所有していた、アイス・ブルーのDB4。個性豊かな1台を、英国編集部がご紹介します。
DOHC直列6気筒エンジンの開発者
アストン マーティンDB4のDOHC直列6気筒エンジンを設計した、技術者のタデック・マレク氏。デイビッド・ブラウン氏のオーナー時代にブランドを成功へ導いた、立役者の1人だった。
新モデルの生産準備を整えた彼は、1965年に1台のDB4を自らのものとした。そのクルマは、優れたレーシングドライバーでもあった自身の好みに合うように、スキなくアップグレードが施された。
厳密には、このアイス・ブルーのアストン マーティンはオリジナル状態と異なる。しかし、ブランド・ディテクターともいえた彼の手によって再編集されたDB4には、興味を抱かずにはいられない。
KKX 4Cのナンバーをぶら下げた1台は、いわばDB4のディテクターズ・カット版。価値あるクラシックであることは、疑いようがないだろう。
1958年のロンドン・モーターショーで発表されたDB4は、高品質で高性能なグランドツアラーという、ブランドの方向性を確立したモデルだった。英国発のスーパーカーでもあった。
最高出力243psを発揮する直6エンジンをフロントに搭載し、3.54:1のリアアクスル・レシオから最高速度225km/hを実現。車重1393kgのDB4は、当時の量産4シーター・モデルでは世界最速を誇った。
英国車的なパッケージングでありながら、イタリアのカロッツエリアが協力した妖艶なスタイリング。それに欠かせなかった心臓こそ、タデックが設計したエンジンだった。後に彼は、さらに長寿命となった5.3LのV8エンジンも開発している。
モータースポーツでも戦える能力
1908年にポーランド南部のクラクフで生まれたタデックは、第二次大戦が勃発すると、1941年に連合軍の1人として渡英。モロッコ・カサブランカでの脱出作戦など、いくつかの難しいミッションをこなした。
終戦後は、ロンドン北部へ定住。ペギーという名の女性と出会い、結婚している。しばらくセンチュリオン戦車の開発に関わっていたが、オースチン・モーター社を経て、まだロンドン西部のフェルサムに拠点があったアストン マーティンへ1953年に入社した。
才気溢れるタデックは、戦前にはアメリカのゼネラル・モーターズや、ポーランドのフィアット支部で力を発揮。その後、イタリア・トリノのフィアット本社へ転勤している。
ドライビングスキルにも長け、1937年にはラリー・モンテカルロを完走。設計者でありながら、モータースポーツを戦える能力の持ち主は、当時でも珍しい存在といえた。ドイツ・ベルリンに存在したアヴス・サーキットでは、大クラッシュも経験していた。
アストン マーティンのチーフエンジニアとしての地位を、他者へ譲りたいと考えていたデイビッド。タデックは彼を訪ね、戦時中にトランスミッションで急成長を遂げたデイビッド・ブラウン社の製品の不備を大胆にも指摘し、採用が決まったという。