往年のラリーキングを復刻 MST Mk1へ試乗 現代版フォード・エスコート RS1600 前編

公開 : 2022.05.24 08:25  更新 : 2022.11.01 08:49

MST社が巧みに復刻した、フォード・エスコートMk1のラリーマシン。英国編集部は、素晴らしさに心が奪われたようです。

RACラリーで8連勝したエスコート

グレートブリテン島の西、ウェールズ地方の山岳地帯はスッキリしない雲で覆われていた。しかし、そんな憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれる、この場所にぴったりなクルマと今日は一緒だ。

今から50年前の1972年、英国のモータースポーツ史に刻まれる出来事があった。ロジャー・クラーク氏とトニー・メイソン氏が、現在の国際ラリー選手権の1戦、英国RACラリーで初めて優勝を掴んだ英国人ペアになったのだ。

MST Mk1(英国仕様)
MST Mk1(英国仕様)

彼らが駆ったクルマが、英国で生産されていたフォード・エスコート Mk1 RS1600。各ステージで見事な走りを披露したが、いま筆者がいるスノードニア国立公園も、そんな舞台の1つだった。

1972年は、ロンドン・メキシコ・ワールドカップ・ラリーでハンヌ・ミッコラ氏がエスコート Mk1をドライブし、優勝してから2年後。重要な時代の始まりだった。

活躍はそれだけに留まらなかった。1973年、1974年、1975年とティモ・マキネン氏がエスコート Mk1で3連勝。ロジャー・クラーク氏はMk2のRS1800で、1976年に再び優勝を果たしている。

フォード以外のマシンがRACラリーで優勝したのは、1980年。エスコートMk1とMk2が成し遂げた、8年連続優勝は前人未踏といえる。その記録は、現在まで塗り替えられていない。

見事としかいいようのない戦いによって、フォードは英国でシェアを拡大。エスコートの熱狂的なファンを生み出すことにもつながった。

以来、エスコート Mk1は今でも多くのクルマ好きを魅了してやまない。価値も上昇の一途にある。今回試乗した、MST Mk1が誕生した理由でもある。

厳密にはフォード・エスコート Mk1ではない

この真っ赤なクルマは、50年間真空パックされてきたように真新しい、エスコート Mk1 RS1600のラリーカーのように見える。しかし落ち着いて観察すると、大切なものが欠けている。

フロントグリルには、ブルー・オーバルのエンブレムがない。トランクリッドにも、エスコートを示すロゴがない。

MST Mk1(英国仕様)
MST Mk1(英国仕様)

MST Mk1は、厳密にいえば1970年代のフォード・エスコート Mk1ではない。できたてのホヤホヤの新車だ。オリジナルのエスコートをレストアする際に用いられる、ボディシェルや駆動系で仕上げてある。

メカニズム的には、2022年仕様でもある。オリジナルをリスペクトして作られているが、ボディやシャシーは大幅に強化されている。見た目は殆ど変わらないが、フォードのエスコート Mk1ではないため、ヒストリックラリーのイベントへも参加できない。

これを製作したのは、ウェールズ地方の西端、プスヘリという街に拠点を置くモータースポーツ・ツールズ社。略してMST社だ。ラリーカー・ファンのために、14年前からアップグレード・パーツや工具類の提供を行っている。

気がつくと、同社はエスコート Mk1とMk2を専門に扱うようになっていた。高い技術力を活かし、完全なボディシェルを復元できる製品群を提供するに至った。

さらに顧客のニーズへ応えるように、自社製品を中心にエスコート Mk2を復刻。昨年、AUTOCARでも試乗させていただいた。そのMST Mk2は多くの称賛を集め、現在筆者の目の前にあるエスコート Mk1の復刻版へと結びついた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マット・ソーンダース

    Matt Saunders

    英国編集部ロードテスト・エディター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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