100年前は英国2番手ブランド ベルサイズ15hpを振り返る 非力だった2.8L 4気筒 前編
公開 : 2022.06.25 07:05
マンチェスターに存在した、今はなき大手自動車メーカー。英国編集部がブランド末期の貴重な1台をご紹介します。
英国製自動車の10%以上を生産
今から100年ほど前、1900年代初頭の英国では、前例がないほど多くの自動車メーカーが誕生し、潰れた。クルマの技術やデザインは日進月歩で進化し、新たな生産方法や宣伝手法が模索されていた。
自動車黎明期といえ、クルマを設計し、生産し、販売するための正攻法的な雛形は確立していなかった。アイデアへ実験的に取り組み、成功といえる結果を導いたメーカーのみが生き残り、成長することができた。
そのような環境下で誕生した1社が、今回ご紹介するベルサイズ・モータース。同社として初のモデル発表から22年後にも「15hp」を開発し、生存競争を比較的長く勝ち抜いていた。
この15hpは、1919年にベルサイズが生産した唯一のモデルで、翌年移行も量産が続けられた。モーター誌など、当時の自動車メディアにも登場し、広報や宣伝といった手法の形成にもつながった。
だが、その時既にベルサイズは存亡の危機にあった。1914年に始まった第一次世界大戦以前の、好景気に沸いた勢いは失われていた。
このブランドを振り返ると、もはや存在しないという事実に疑問を抱いてしまう。25年以上もクルマを生産したが、現在ではインターネット上で得られる情報もひと握り。1910年代半ばには、英国製自動車の10%以上をベルサイズが生産していたのだ。
バーミンガムで1番のタクシー・メーカー
同社がグレートブリテン島の中東部にある都市、マンチェスター・クレイトンで創業したのは1896年。自転車工場のベルサイズ・ワークス社をベースに、マーシャル・アンド・カンパニー社としてスタートした。
初めて生産したクルマは、フレンチ・ヘルツ。基本的には単気筒エンジンにベルトとチェーンのトランスミッションが組まれた、ベンツのコピー・モデルだった。しかし創業当時から、向上心の熱い技術者魂が社内には存在していた。
経営責任者だったジェームズ・ホイル・スミス氏はその筆頭。繊維業界で用いられる道具の特許権を所有する人物だった。また、取締役会のジョージ・ピルキントン・ドーソン氏とジェラルド・ヒギンボサム氏も、経験を積んだ技術者だった。
1728ccの2気筒エンジンをシャフトドライブした初の独自モデル、12hpが誕生するのも自然な流れといえた。社名も、しばらくしてマーシャル・ベルサイズへ変更された。
12hpは比較的成功といえる結果を残した。それを受け、1903年までに更なる投資が進められた。社名はベルサイズ・モーター・アンド・エンジニアリング社へ改称。株式の発行で、投資家からの資金調達も順調だった。
1906年にはベルサイズ・モータース社へ改められ、事業内容も多様化。第一次世界大戦前の1911年には、大型トラックや消防車、タクシーなどの生産も手掛けるようになっていた。バーミンガムで1番のタクシー・メーカーになっていた。