最上級コンバーチブル ロールス・ロイス・シルバークラウドIII キャデラック・シリーズ62 前編
公開 : 2022.06.26 07:05 更新 : 2022.08.08 07:08
大量消費が許された1960年代。その頃の米英を代表する最上級コンバーチブルを、英国編集部がご紹介します。
人生における勝者が乗るトップ・モデル
贅沢な暮らしを象徴する乗用車として、60年前にこの2台が同じ土俵に並ぶことはなかっただろう。だとしても、壮観な眺めだ。
優雅で堂々としたロールス・ロイス・シルバークラウドIIIは、世界最高のクルマとして今以上にブランドが認知されていた時代に、最上級モデルとして生み出された。極めて高価で、我がモノにできる人はほんの一握りだった。
同時期のキャデラックも、アメリカの自動車産業を代表する最高のブランドとして、多くの人に理解されていた。特にコンバーチブルは、技術力や工業力、文化力といたものを雄弁に表現していた。人生における勝者が乗る、トップ・モデルといえた。
フォードの上級ブランド、リンカーンと、クライスラーのインペリアルの販売台数を合算しても、当時のキャデラックには及ばなかった。1960年には、リンカーンの5倍も多く売れていた。
キャデラックに乗ることが、アメリカでは夢の暮らしの1つ。より大きく、より贅沢なものが、新時代だと考えられていた頃を象徴していた。
とはいえ、シリーズ62のサルーンやクーペなどと比べて、コンバーチブルを熱望する人は限られた。超豪華なエルドラド・ビアリッツと、若干控えめなシリーズ62 2ドア・コンバーチブルの2種類から選べたとしても。
1959年にモデルチェンジした6代目のフェイスリフト版として、1960年にも頂上部に君臨していたのがシリーズ62だ。尖ったテールフィンは少しマイルドになり、フロントマスクもシンプルになっていたが。
特別な製造ラインで作られたキャデラック
シャシーは、130インチ(3302mm)という長いホイールベースを持つ、Xフレーム。ボートのように巨大な2295kgのボディを、390cu.in(6.4L)という大排気量のV8エンジンが押し出した。最高出力は329ps、最高速度は193km/hがうたわれた。
1960年に生産されたキャデラックは、14万2184台。そのうち、約1万4000台をシリーズ62の2ドア・コンバーチブルが占めた。
ロールス・ロイスのように丁寧に職人が仕上げることはなかったが、1959年式と変わらず、注意深く組み立てられていたことは間違いない。アメリカの自動車製造ラインとしては、最も流れる速度が遅かったという。
エンジンも精巧さが求められた。ゼネラル・モーターズ(GM)のなかでも、特に厳しい精度で組まれている。
メカニズムも、高い洗練度が目指されていた。そのため多くの部品がブランドの専用。ドアロックやシート、ヘッドライトの角度調整などは電動化され、ラジオもオートチューニングが内蔵されていた。ロールス・ロイスの技術者が、想像した以上といえた。
ソフトな乗り心地を支えたのが、オプションのエアサスペンション。ただし、不具合も少なくなく、1960年で廃盤となっている。
それ以外の構成は、保守的でもある。大きく堅牢なリジッドアクスルもその1つといえるが、大きく重いセパレート・シャシーが与えられた当時のモデルにとって、バネ下重量を軽くしても目立ったメリットがなかったことは事実だ。