ロンドンからメキシコへ辿り着ける? 1970年ワールドカップ・ラリー挑戦マシン 前編
公開 : 2022.07.17 07:05 更新 : 2022.11.01 08:49
ロンドンからメキシコを目指した1970年のワールドカップ・ラリー。その記念イベントへ英国編集部がお邪魔しました。
ラリーはクルマの信頼性を証明する手段
今から50年ほど前は、過酷なラリーがクルマの信頼性を証明する手段の1つだった。なかでも、デイリー・ミラー紙が1970年に主催した「ワールドカップ・ラリー」は、トップクラスに厳しい試練だったに違いない。
約100台のマシンがスタートしたものの、ゴールできたのは23台。完走率は4分の1程度で、その難関ぶりを証明していた。
ちなみに、かつてジュール・リメ杯世界選手権大会とも呼ばれていたサッカー・ワールドカップは、1966年の開催都市がロンドンで、1970年がメキシコだった。それにちなんで、ロンドン・メキシコ・マラソンラリーもワールドカップ・ラリーと呼ばれたようだ。
もちろん、ラリーマシンが挑んだのは整備された芝のピッチではなく、総長2万5000kmにも及ぶ広大な大地だ。ロンドンを出発し、欧州各国を横断。海を渡って南米大陸へ上陸し、チリから北上してゴールのメキシコシティを目指した。
ワークスチーム体制で挑んだのは、フォードやブリティッシュ・レイランドのほか、当時はソ連と呼ばれていたロシアのモスクビッチなど。シトロエンも非公式ながらバックアップ体制を用意した。プライベーターも参加し、多彩なクルマが参戦している。
多彩なオリジナル・ラリーマシンが集合
このラリーで優勝を掴んだのが、ラリードライバーのハンヌ・ミッコラ氏と、コ・ドライバーのグンナー・パーム氏というペア。フォード・エスコート Mk1をラリーの伝説的マシンへ祭り上げる、きっかけにもなった。
英国のクルマ好きが集まったヒストリック・マラソンラリー・グループは、1968年のロンドン・シドニー・マラソンラリーなど、往年の大陸横断ラリーを記念するイベントを定期的に開いている。だが、COVID-19の影響で最近は実施が見送られていたという。
今回、英国編集部は2年遅れで開催された、ワールドカップ・ラリーの50周年イベントへお邪魔させていただいた。フォードやトライアンフ、オースチン、ヒルマン、ミニ、MG、シトロエンなど、多彩なオリジナル・ラリーマシンが集っていた。
開催場所は、英国ゲイドンの英国自動車博物館。今回はその参加車両の中から8台をご紹介したいと思う。
モーリス1800(1968年)
オーナー:マーティン・ジョーンズ氏
フォードは1970年のロンドン・メキシコ・マラソンラリーでの耐久性証明するため、様々な対策を講じたエスコートを投入した。ボディシェルへの強化も施すほど。
同じく参戦を決めたブリティッシュ・レイランド(BL)は、ランドクラブという愛称の付いたモーリス1800で挑んだ。堅牢な設計を信じて。
アレック・イシゴニス氏が設計を手掛けた、それ以前のモノコックボディには、補強を兼ねてサブフレームが採用されていた。だが、やや過剰といえる設計が施された1800には、それが不要だった。
マーティン・ジョーンズ氏が所有するモーリス1800は、ブリティッシュ・レイランドのコンペティション部門で用意されたマシンの1台。しかし、ワークスチームで戦うことなく、ボブ・イーブス氏というドライバーへ売却されている。
「話によれば、サファリラリーのサポート車両だったようです。でも、証拠はないんですよ」。とジョーンズが苦笑いする。それでも、1968年と1970年の2つのマラソンラリーへ実際に出場した貴重なマシンだ。
ロンドン・シドニーは36位で完走。ロンドン・メキシコではクラッシュに巻き込まれ、リタイアしている。
イーブスによる参戦を終えたモーリス1800は、別のオーナーの元へ渡り、ヒストリックラリー・イベントも走った。2004年のラリー・モンテカルロ・ヒストリックでは、見事勝利を掴んでいる。
ジョーンズが購入したのは10年前。ボディの傷跡が生々しいが、1800が過ごした歴史の証拠として残されている。