唯一のマラネロ・コンバージョン フェラーリ・テスタロッサ・スパイダー フィアット会長の愛車 前編
公開 : 2022.08.20 07:05 更新 : 2022.08.22 15:49
テスタロッサで唯一、正規にフェラーリによるコンバージョンを受けたスパイダーを、英国編集部がご紹介します。
フィアット創業者の孫でプレイボーイ
フィアットの名誉会長を務めた、ジャンニ・アニェッリ氏。フィアットの創業者という裕福な家系に生まれ、上流階級の女性と結婚し、自らもイタリアの自動車産業で手腕を振るった。新聞社やサッカー・チームのオーナーになり、スキーリゾートへも手を広げた。
一説によると、イタリアの株式市場へ上場する25%の企業へ関わりを持っていたという。穏やかで魅力的な人柄を活かし、国内だけでなく、海外の権力者ともコネクションを構築していた。
イタリアの政治家で資産家のシルヴィオ・ベルルスコーニ氏に対しては、時に市民は批判的で、冷笑することがある。だが、アニェッリへは多くが好意的だったようだ。欧州で最も裕福な1人でありつつ、ファッション・アイコン的なイメージも持っていた。
第二次大戦中は騎兵連隊に所属していた彼は、法律を勉強する機会を得て、弁護士の資格を取得。戦後はプレイボーイとして、自由な暮らしを楽しんだ。欧州各地のカジノやスキーリゾートで遊び、幅広い人脈を築いていった。
ところが1952年の自動車事故をきっかけに、社会への見方を変えたのだろう。祖父が創業したイタリア最大の自動車メーカー、フィアットに関心を示すようになった。
彼はイタリアの王族だったドン・フィリッポ・カラッチョロの娘、マレッラ・カラッチョロ氏と結婚。1966年にフィアットの会長へ就任している。その後の30年間、自動車メーカーの経営は安定しなかったが、アニェッリの地位が揺らぐことはなかった。
ランチア・デルタ・スパイダーもオーダー
アニェッリが会長の間に、フィアットはランチアとアルファ・ロメオ、マセラティ、フェラーリを次々に買収。イタリアの自動車産業を、実質的に支配したといっていい。
そして、大のクルマ好きでもあった。エキゾチック・モデルだけでなく、フィアット・パンダも愛車にしていた。イタリアのカロッツェリア、モレッティ社が手掛けたパンダ・ロックや、フィアット130がベースのステーションワゴンも。
晩年になっても、彼は自らクルマを運転した。「運転手には頼みません。いつも自分で。これがわたしの習慣なんです」。と生前の取材で答えている。
オープンカーには特に弱かった。スイスのスキーリゾート地、サンモリッツで夏を過ごすために、ランチア・デルタ・インテグラーレ・スパイダーを作らせている。今回ご紹介する、フェラーリ・テスタロッサ・スパイダーも。
このシルバーのテスタロッサは、正式にフェラーリが製造した唯一のスパイダーだ。アニェッリのために、1台だけが仕上げられている。
レッドではないボディカラーも、オーダー主が選んだもの。ジャンニ・アニェッリのイニシャル、GAをもとに元素記号のAgへちなんで、シルバーに塗られたという。ボディ下部の暗いブルーのストライプも、彼が指定したものらしい。
完成したのは1986年。フランス・パリでクーペ(ベルリネッタ)のテスタロッサが発表されてから、2年後のことだった。