ハンス・グラース2600 V8とBMWグラース1600 GT 希少なドイツ製クーペ 2台を比較 前編
公開 : 2022.08.28 07:05
最終的にBMWへ買収されたハンス・グラース。ドイツの2つのブランドによる希少なクーペを、英国編集部がご紹介します。
ナイロン製の段付きタイミングベルトを発明
楽観的な思考で誕生したとしか思えない、ハンス・グラース2600 V8。イタリアのデザイナー、ピエトロ・フルア氏による美しいクーペが1965年から1968年にかけて製造されている。
生産台数には諸説あるが、AUTOCARでは657台という説を推したい。最初の約2年間の264台と、1967年にBMWがハンス・グラース社を買収してから製造された、3.0Lエンジン版の393台も加えて。
BMWは、同社のモデルに興味はなかったようだ。ドイツ南東部、ディンゴルフィングに構えていた工場は改修され、1972年以降は5シリーズの生産拠点となった。
才能あふれる技術者、カール・ドンペルト氏や幾つかの特許技術も受け継いだ。彼ら最大の発明が、ギアと噛み合う段付きのナイロン製タイミングベルトだといえる。
家族経営といえる企業だったハンス・グラース社は、一時期には4000名の雇用を抱えたドイツ・バイエルン地方の自動車メーカー。戦後のドイツ経済の急速な回復の波に乗ったものの、開発資金が充分ではないなかで、ラインナップを広げすぎたようだ。
1880年代に農業用機械の製造で創業した同社は、1957年にゴッゴモビルと呼ばれるマイクロカーで四輪自動車に参入。程なくして、フロントエンジンのT600とT700というひと回り大きなモデルを投入した。
1961年にはサルーンの1004を発表。エンジンはBMWの元技術者、レオンハルト・イッシンガー氏が手掛けた、タイミングベルトによるオーバーヘッドカム・ユニットだった。
上級グランドツアラー市場に向けた2600 V8
1963年に発表されたのが、2ドアクーペの1300 GTと1700 GT。ポルシェ356の終了で生まれた需要を掴み、ブランドの認知度を高めたといえる。1964年にはサルーンの1700も発表するが、返済しきれない額の投資で開発されていた。
1966年には、上級グランドツアラー市場に向けた2600 V8を投入。ドイツのマスコミは、ハンス・グラースとマセラティとの造語の「グラーセラティ」と呼び、野心的な展開を好意的に報じた。
構造のベースとしたのは、サルーンの1700。V8エンジンも、1300 GTの4気筒ユニットを2基組み合わせ、1つのクランクシャフトに繋げたようなものだった。コスト削減が目的だった。
スタイリングはフルアによって1964年に着手され、1965年5月にプロトタイプが完成。量産車と細部は異なるが、テールライトやポルシェ911用のドアロック、メルセデス・ベンツのバスと同じヘラ社のヘッドライトなど、主な特徴はカタチになっていた。
1300 GTや1700 GTと同様に、スチール製のボディはイタリア・トリノのマッジョーラ社が生産を請け負った。基本的に防錆処理されておらず、水分には弱かった。
大部分がハンドメイドで組まれたボディはアルプス山脈を超え、ドイツ南東部のディンゴルフィングへ輸送。そこでパワートレインやインテリアが仕上げられ、1万9400マルクでディーラーに並んだ。ポルシェ912と911の、中間に当たる価格設定だった。
ブレーキは前後ともディスク。ド・ディオンアクスル式のリア・サスペンションには、セルフレベリング機能も備わっていた。