ロンドンタクシーでシドニーへ カーボディーズFX4で目指したオーストラリア 前編
公開 : 2022.10.22 07:05
1988年、真っ黒なロンドンタクシーでシドニーを目指した2人の男性。乗車代約1027万円の長旅を、英国編集部がご紹介します。
きっかけはロンドン・シドニー・マラソンラリー
「すみません。女王がいつ姿をお見せになるかご存じですか?」。バッキンガム宮殿のそばに立っていると、年配の女性が声をかけてきた。もうじきだと思いますよ、と自分は腕時計を確認して答えた。
その瞬間、1988年7月の早朝が頭によみがえってきた。宮殿の門前で待っていたのはロンドンタクシー。目的地はオーストラリアのシドニーだった。
このアイデアをひらめいたのは、さらに20年ほど前のラリーがきっかけ。アルプス山脈を超えてパキスタンを抜けオーストラリアを目指す、ロンドン・シドニー・マラソンラリーへ出場するマシンの姿を目にし、憧れを抱いた。1968年11月の日曜日だった。
現実は仕事が忙しくなり、結婚し家族が増え、ラリーへ挑戦するような余裕はなかった。英国のサウスウェールズ州からオーストラリアのニュー・サウスウェールズ州へ引っ越しもした。
だが、シドニーの王立植物園を友人とうろついていた時、ふとマラソンラリーの話題に転じた。自分と似た考えを持つエドワード・ネッド・ケリーも、わたしのアイデアを気に入ってくれた。「やろうよ、ジョン」。ある日の夕方、コトが動き出したのだった。
それから2年間を掛けて計画を練り、準備を整え、バッキンガム宮殿の前に自分たちは降り立った。思いつきの冒険は慈善募金活動「グレート・キヤノン・タクシーライド」へ展開し、用意を整えていくうちに仲間は2人から6人に増えた。
1987年式カーボディーズFX4でシドニーへ
ガイ・スミスはロンドンのタクシー運転手で、カネリ・ツィロスはシドニーのタクシー運転手。どちらも厳正に選ばれた精鋭といえた。
旅の一部始終は、オーストラリアで映画製作を手掛けるマイク・ディロンが映像として記録した。チャールズ・ノーウッドは経験豊かなメカニック兼コーディネーター。物資などの供給も一手に引き受けた。
もう1人、話題性のために女性も呼んでいた。TVスターのデイム・エドナ・エヴァレッジだ。「タクシーメーターはオンね」。彼女が意気揚々とカメラに向けて話す。史上最長といえる賃走の出発を見送るのに、最適な人物といえた。
ロンドンのバッキンガム宮殿から、オーストラリア・シドニーに建つオペラハウスまでロンドンタクシーで走る、慈善募金活動の「顔」として適任だった。英国メディアは、彼女に好感を抱いていた。
われわれが乗り込む1987年式カーボディーズFX4、通称ブラックキャップの他に、2台のランドローバー・ディフェンダーがサポート車両として加わった。チームはグレートブリテン島の南部、ポーツマスのフェリー港まで足を進めた。
目の前に広がるのはイギリス海峡。いよいよ出発、という高ぶる気持ちが湧いてきた。
フェリーで夜のうちにフランスへ渡り、イタリアまでは高速道路が続き平穏。記録映画の内容を意識してモンブランの麓を経由し、アドリア海に面したキャンプ場で最初の夜を過ごした。