小粒なイタリアン・スーパーカー フィアットX1/9 ガンディーニxランプレディの秀作 前編

公開 : 2022.11.06 07:05

フィアットが生み出した小さなミドシップ・スポーツ、X1/9。誕生から50年後に、その魅力を英国編集部が振り返りました。

レーシングボートから着想したスタイリング

ベルトーネ社に在籍していたイタリアのカーデザイナー、マルチェロ・ガンディーニ氏がA112ランナバウト・バルケッタという前衛的な2シーター・コンセプトカーを発表したのは、1969年だった。トリノ自動車ショーのアウトビアンキ・ブースで。

そのコンセプトカーをベースに量産車が生まれるとは、当時は誰も予想しなかったかもしれない。しかも、20年後の1989年まで生産が続けられるとは。

グリーンのフィアットX1/9 1300と、ブルーのベルトーネX1/9 1500
グリーンのフィアットX1/9 1300と、ブルーのベルトーネX1/9 1500

レーシングボートから着想したという、大胆なスタイリングは自動車ショーで大きな反響を呼んだ。典型的なくさび形といえるシャープなラインが、デザインの新時代を指し示していた。この可能性へ気付くには、先見の明が必要といえた。

そんな発想を持つ自動車メーカーは、遠くない場所にあった。アウトビアンキは、数年前にフィアット傘下へ収まっていた。1971年に主任デザイナーとしてジャンニ・アニェッリ氏が就任すると、フィアット850 スパイダーの後継モデルとして白羽の矢が立ったのだ。

見た目だけではなかった。フィアット初の前輪駆動、128サルーンにも搭載されたオーバーヘッドカム4気筒エンジンの改良版が、シャシー中央に搭載されることになった。このユニットを手掛けたのは才能溢れる技術者、アウレリオ・ランプレディ氏だ。

X1/9というモデル名を得る、プロトタイプの開発はテンポ良く進められた。「X1」はフィアットが当時の試作車に与えていた通称で、それに続く「9」は一連の開発計画での9番目を示していた。そのまま、量産車の名前へと転じた。

秀作として唯一惜しまれたパワー不足

フィアットX1/9は、フェラーリ・ディーノなどの少量生産モデルを除いて、世界初といえる量産ミドシップ・スポーツでもあった。技術面でも革新的といえた。

ガンディーニはキャビンの直後、トランスアクスル前方へエンジンを横向きにレイアウト。トラクションを確保しつつ、重量物をシャシー中央に寄せることで慣性モーメントを低減し、レスポンシブな操縦性を狙っていた。

フィアットX1/9 1300(1977年/英国仕様)
フィアットX1/9 1300(1977年/英国仕様)

エンジンは前方に11度傾けられ、リアのバルクヘッドへ可能な限り近接。トランスアクスルの上部には、小さいながら立方体状の荷室も確保されていた。

サスペンションは、前後ともにマクファーソンストラットの独立懸架式。リアにはロワーAアームが与えられ、128サルーンの不等長ドライブシャフトを流用している。アンチロールバーは装備されなかった。ブレーキは前後ともソリッドディスクだ。

秀作といえるX1/9で、唯一惜しまれたのがパワー不足。とはいえ、フィアットがランプレディの4気筒を選択したのは理に適ってもいた。

排気量は1116ccから拡大され、1290ccを獲得。軽量なピストンとコンロッド、専用の吸排気系、ウェーバー・キャブレターを装備し、オリジナルから19ps増しの最高出力74psを6000rpmで発揮した。128 ラリーと比べても8ps強力だった。

だが、比較的軽い880kgの車重をもってしても、0-97km/h加速は10.0秒。当時の自動車誌による計測では12.3秒に留まった。最高速度も170km/hで、話題性のある数字ではなかった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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