米製4.0L直8エンジンに英製ボディ レイルトン・ロードスター 息子が好んだブルー 前編

公開 : 2022.11.13 07:05

アメリカ製のシャシーに、独自のコーチビルド・ボディを載せたレイルトン。英国編集部が貴重なロードスターをご紹介します。

複数のブランドを創業したマックリン

筆者が1度対面してみたかったと思う人物に、ノエル・マックリン氏がいる。今はなき自動車メーカー、インヴィクタとレイルトンを創業した彼は、60年に渡って技術開発や新規ビジネスへ積極的に取り組んだ。モータースポーツ活動にも熱心だった。

オーストラリア・パースで生まれたマックリンは幼くして乗馬をたしなみ、10歳の頃にロンドン・チェルシーへ移住。住んでいた家の屋上では、ペットとしてライオンを飼っていたという。趣味のアイスホッケーは、国際試合のメンバーに選ばれる程の腕前だった。

レイルトン・ロードスター(1937年製シャシー/英国仕様)
レイルトン・ロードスター(1937年製シャシー/英国仕様)

一家が営むマレーシアでの天然ゴム事業は成功し、映画製作やモータースポーツなどへの豊かな資金源になった。1914年に第一次世界大戦が勃発すると、マックリンは連合軍が守る西部戦線へ参加。爆風に襲われるが、一命はとりとめた。

終戦後、マックリンは自動車産業へ進出し、シルバー・ホーク・モーター社を創業。さらに、ロンドン南西部のコバムを拠点にインヴィクタを立ち上げ、大恐慌を経て、今回ご紹介するレイルトンへも事業を拡大した。

1925年には富豪の知人、フィリップ・ライル氏からの資金提供を受けて、シフトチェンジを必要としない自動車の開発に着手。蒸気機関へも関心を広げた。インヴィクタのシャシーにメドウズ社のエンジンを搭載したスポーツ・モデルも生み出した。

直列8気筒エンジンのテラプレーン

レイルトン・ブランドを設立したのは1933年。映画製作から手を引いたマックリンは、所有する大きなワークショップを稼働させる新ビジネスを必要としていたのだ。

その時に目をつけたのが、アメリカ・デトロイトのハドソン・モーター社が発売した、4.0L直列8気筒エンジンを搭載した新モデルのテラプレーン。高品質なクルマを低価格に提供するという、可能性を見出した。

レイルトンを創業したノエル・マックリン氏(左)
レイルトンを創業したノエル・マックリン氏(左)

ただし、製造品質や洗練性、動力性能には惹かれた彼だったが、アメリカ的なスタイリングには納得できなかったようだ。シャシーを流用しながら、レイザーエッジと呼ばれた低いボンネットのコーチビルド・ボディを採用している。

電気系統やサスペンションも、オリジナルから改良。欧州市場に合わせたチューニングが施され、クロームメッキ・ラジエターが誇らしいレイルトン・テラプレーンを発売した。

このブランド名の由来となったのは、マックリンと交流のあった優れた技術者、リード・レイルトン氏。また彼は、レーシングドライバーでパイロットのリチャード・シャトルワース氏にも、プロトタイプ開発のために投資を持ちかけている。

レイルトン氏がテラプレーンへどの程度関わっていたのかは不明だが、1934年にはコーチビルダーのフリーストーン&ウェッブ社によるツアラー・ボディを搭載した、スタイリッシュな1台目が完成。報道陣や裕福な人々を驚かせた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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