ベルリンのトラバント博物館 マニア垂涎の展示内容 希少車、変態車との出会い

公開 : 2022.12.24 18:05

ドイツの首都ベルリンに、個人所有のトラバント博物館があります。原点となったAWZ P70からP601、軍用車、そして「世界最速のトラバント」まで、その展示内容はまさに「変態的」と言えるでしょう。

希少車から奇妙なワンオフ車まで

トラバントを製造した会社はもう存在しないが、その遺産はベルリンの中心部にある小さな個人所有の博物館で保存されている。

一般公開されているこの博物館(Trabi Museum Berlin)には、トラバントの原型となったAWZ P70をはじめ、歴史的に重要なモデルや、一風変わったワンオフモデルが展示されている。

ドイツにあるトラビ・ミュージアム・ベルリン(Trabi Museum Berlin)
ドイツにあるトラビ・ミュージアム・ベルリン(Trabi Museum Berlin)    AUTOCAR

AWZ P70(1955~1959年)

トラバントの家系図には載っていないようだが、AWZ P70はその設計に多大な影響を与えた。国営企業であるアウトモービルヴェルケ・ツヴィッカウがデザインし、セダン、ワゴン、そして希少なクーペ(写真)の3つのボディスタイルが用意された。

1955年に発売されたセダンは、木製フレームに「デュロプラスト」というプラスチックの一種を使ったボディパネルが採用されている。金属ではなく複合素材を使うという発想は、1950年代には極めて革新的なものであり、この技術を習得した自動車メーカーはほとんどなかった(多くのメーカーが挑戦していた)。

AWZ P70(1955~1959年)
AWZ P70(1955~1959年)    AUTOCAR

P70のエンジンは排気量690ccの2気筒2ストロークで、最高出力は22ps。1939年発売のDKW F8をベースに開発されたIFA F8のエンジンを発展させたものである。エンジンはキャリーオーバーのため製造コストを抑えることができたが、デュロプラスト製パネルは高くついた。

1959年に引退したP70を「成功」と評価する人はほとんどいなかった。しかし、このクルマで得られた教訓は、初代トラバントにも受け継がれている。それは、デュロプラストを金属の代わりとして量産車に使用すれば、経済的に採算が取れるということであった。

トラバントP50(1958~1962年)

1958年に発売されたP50は、「東ドイツといえばトラバント」と言われるルーツとなったクルマである。東ドイツ政府が国民のための自動車を作ろうとしたため、開発費、製造費、維持費が安価であることが要求された。BMWイセッタのような、いわゆるバブルカーを作る計画は早い段階で断念されている。

また、軽量化と金属不足の回避のため、早くからプラスチック製ボディパネルの採用が決定。キャビンを広くするために前輪駆動とされた。

トラバントP50(1958~1962年)
トラバントP50(1958~1962年)    AUTOCAR

1958年7月、P50の生産が開始された。トラバントの名はすぐに定着したが、P50の生産はホルヒ工場とアウディ工場が合併してできたザクセンリング・アウトモービルヴェルケ・ツヴィッカウという国営の自動車メーカーで行われている。

搭載された排気量499ccの空冷2気筒2ストロークエンジンは、当初17ps程度の馬力しかなかったが、後に若干パワーアップしたものがリリースされた。1960年にはワゴンタイプもラインナップに加わり、1962年には生産が終了している。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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