わたしの愛した12台 元マクラーレンCEOの人生を変えたクルマとは 生粋のエンスージアストが選ぶもの

公開 : 2023.01.02 19:05

2013年から2021年にかけてマクラーレンのCEOを努めたマイク・フルウィット氏。仕事も休日も「クルマ漬け」の彼の人生に影響を与えた、12台のクルマを振り返ります。

マクラーレンCEOの人生を変えた12台

2013年から2021年までマクラーレンのCEOを務めたマイク・フルウィット(Mike Flewitt)は、自動車会社のトップとしては比較的珍しく、仕事中も休みの日も本能的なまでにクルマを愛している人物だ。マクラーレンを退いた後も、空飛ぶクルマ・電動航空機を手掛ける英国のバーティカル・エアロスペース社の取締役を務めている。

趣味で自動車関連の本を読んだり研究したり、週末にはロータスのクラシックカーを走らせたり、妻でありレーシングドライバーのミア・フルウィット(ブリティッシュGT選手権に参戦)をサポートしたりと、彼ほど「クルマ好き」を体現している人は少ないだろう。

マクラーレン・オートモーティブの元CEO、マイク・フルウィット氏
マクラーレン・オートモーティブの元CEO、マイク・フルウィット氏

しかし、昔からそうだったわけではない。リバプール生まれのフルウィットの家族には、自動車に対する特別な愛情を持っている人はいなかった。父親は学者で、母親は教師だった。兄弟も(裁判官の兄と、教職に就いた妹)、自動車にはあまり興味を示さなかった。マイクは子供の頃から機械に興味があったが、自転車をいじっていることの方が多かったという。

しかし、サフランイエローのトライアンフ・ヘラルドが彼の人生を一変させる。

トライアンフ・ヘラルド 13/60 コンバーチブル(1962年)

地元のスポーツショップで小遣いを稼いでいた若き日のフルウィットは、愛用の自転車が盗まれ、思いがけず200ポンドの保険金を手にすることになる。盗まれた自転車の代わりとして、同じくスポーツショップで働いていた女性から250ポンドでトライアンフ・ヘラルドを購入した。「ちょっとカッコいい」と思ったのが理由だそうだ。

オースチンヒーレー・スプライトMk4ならもっと格好良かっただろうが、10代が払わなければいけない保険料はこのクルマ本体より高かっただろう、と彼は回想する。ヘラルドは、フルウィットがクルマに夢中になるきっかけとなったターニングポイントである。

トライアンフ・ヘラルド 13/60 コンバーチブル
トライアンフ・ヘラルド 13/60 コンバーチブル

「あのクルマが大好きでした。セパレートフレームで、フロントのボディが全部持ち上がる(フロントヒンジでボディごと大きく開く)から、運転もしやすいし、作業もしやすいんです。見て触ってわかるような問題を解決するのが楽しかった。ヘインズの油っこいマニュアルを持っていて、それに忠実に従ったものです。ヘラルドを修理しているうちに、クルマが大好きになったんですよ」

フルウィットは19歳になるとリバプール大学で経済学を学んだが、ヘラルドの影響もあって、すぐに「関連性がない」ことに気づき、1年後には自宅から10分の距離にあるヘイルウッドのフォード工場で働き始めた。

すると、すぐに技術見習いとして認められ、エセックスのフォード本社に定期的に通うことに。こうして、見習いから現場監督、スーパーバイザー、製造エンジニア(20代後半にサルフォード大学で学業を再開)、エリアマネージャーへと、12年間にわたるフォードの道を歩むことになるのだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    スティーブ・クロプリー

    Steve Cropley

    AUTOCAR UK Editor-in-chief。オフィスの最も古株だが好奇心は誰にも負けない。クルマのテクノロジーは、私が長い時間を掛けて蓄積してきた常識をたったの数年で覆してくる。週が変われば、新たな驚きを与えてくれるのだから、1年後なんて全く読めない。だからこそ、いつまでもフレッシュでいられるのだろう。クルマも私も。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    平成4年生まれ愛知在住。幼少期から乗り物好き。住宅営業や記事編集者といった職を経て、フリーランスとして自動車メディアで記事を書くことに。「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。

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