バンドのジャケ写に抜擢 オースチン・アトランティック・コンバーチブル 神秘的な流線型 前編

公開 : 2023.01.15 07:05  更新 : 2024.01.16 07:50

3灯ヘッドライトに流線型ボディの神秘的なアトランティック。見事にレストアされた1台を英国編集部がご紹介します。

ザ・スターゲイザーズのジャケット写真に

エメラルド・グリーンが眩しい、オースチンA90アトランティック・コンバーチブルは幸運だった。数10年間も倉庫に放置されていながら、最高の美しさを取り戻すことができた。現オーナー、デイビッド・ホワイリー氏の献身的なレストアによって。

この斬新なコンバーチブルを、筆者が初めて目にしたのは約40年前。ナンバーはFPN 717で、ボディはホワイトに塗られていた。

オースチンA90アトランティック・コンバーチブル(1948〜1950年/英国仕様)
オースチンA90アトランティック・コンバーチブル(1948〜1950年/英国仕様)

その頃、自分はレコード・ジャケットのデザイナーとして忙しい日々を楽しんでいた。数え切れないほどのミュージシャンのLPを手掛けたが、そのなかに「ザ・スターゲイザーズ」というロックバンドがあった。

メンバーはレトロなフィフティーズ、1950年代のスタイルを好み、バンドの特徴にしていた。特にドラマーのリッキー・ブラウン氏は、アメリカの文化やデザインに魅了されていた。

1982年の新アルバム「ウォッチ・ディス・スペイス」で、彼らは印象的なクラシックカーを登場させたいと考えた。ただし、大きなフィンのついたアメリカン・コンバーチブル以外のモデルを希望していた。

リッキーはクルマにも夢中で、デイブ・クロッパー氏というカーコレクターと知り合いだった。彼はフォード・コンサルやゼファーといったサルーンを主に集めていたが、珍しいオースチンA90アトランティックも所有していたのだ。

レストア途中で、不動状態ながら見た目は悪くなかった。ジャケット写真の主役へ抜擢することになり、ロンドンまでトレーラーで運ぶことへクロッパーは同意してくれた。

不動状態だったA90アトランティック

「最初の愛車は、Mk1とMk2のフォード・ゼファーでした。それから色々なクルマを巡り、1976年頃にオースチン・アトランティックへ辿り着いたんです」。とクロッパーが振り返る。

「ボディはホワイトに塗られていて、ソフトトップはクリームのビニール。当初は動く状態でした。バッキンガム宮殿へ元気に走ったのは忘れられません。2.6L直列4気筒エンジンは、当時としては先進的なユニットといえました」

ザ・スターゲイザーズ「ウォッチ・ディス・スペイス」のジャケット写真
ザ・スターゲイザーズ「ウォッチ・ディス・スペイス」のジャケット写真

それから6年後、A90アトランティックは撮影場所まで走る気にはならなかったようだ。36時間という長丁場の現場だったから、わからないでもない。

撮影は深夜2時にスタート。バンド・メンバーはフォトグラファーのピーター・アシュワース氏の前でエネルギッシュな演奏を披露した。

仕事を終えたコンバーチブルは、クロッパーのガレージへ戻るとテント生地が掛けられた。似たような趣味を持つクラシックカー仲間と定期的に会合を開いていた彼は、ロンドンの西、バークシャーに住む男性へ譲渡することを決めた。

購入したのはヴァーノン・コックス氏。A90アトランティックの大ファンで、すでにクーペとコンバーチブルを1台づつ初有していた。オースチン・カウンティ・カークラブ(ACCC)のメンバーでもあった。

3台目のA90アトランティックとなったのが、ホワイトのコンバーチブル。すぐに保管用の倉庫へしまい込まれた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジュリアン・バルメ

    Julian Balme

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

バンドのジャケ写に抜擢 オースチン・アトランティック・コンバーチブル 神秘的な流線型の前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事