子象の人気は止められない ランチア・デルタ HFインテグラーレ 英国版中古車ガイド 国を超えた売買も

公開 : 2023.01.27 08:25  更新 : 2023.01.27 11:40

毎日の通勤路をターマックステージに変えるデルタ。ラリーレジェンドの中古車を、英国編集部がご紹介します。

象は走り出すと誰にも止められない

人間と同じように、晩年に開花するクルマも存在する。ランチアが開発したファミリーハッチバック、デルタは1979年から販売されていた。しかし、ラリーマシンとの繋がりを持つ、HFインテグラーレを襲名したのは8年後の1987年だった。

それ以降、1995年に製造を終えるまで、デルタはホットハッチの王者として地位を保ち続けた。公道ではスーパーカーを驚かせる走りを披露し、ラリーステージではライバルを圧倒する速さでわれわれを興奮させた。

ランチア・デルタ HFインテグラーレ(1987〜1995年/欧州仕様)
ランチア・デルタ HFインテグラーレ(1987〜1995年/欧州仕様)

1984年に投入されたHFターボとHF 4WDで、既にデルタの優れた能力の片鱗は表れていた。さらに1987年、ランチアはラリーのグループAカテゴリーで戦うことを決めると、デルタへ白羽の矢が立ち、惜しみない技術力が投じられることになった。

当時の規定では、グループAのホモロゲーションを得るには、年間5000台の公道用モデルを製造する必要があった。しかし実戦での活躍で人気へ火が付き、HFインテグラーレの生産は急増。1993年までに4万5000台を売りさばいている。

このHFとは、ハイ・フィデリティ、ハイファイの略。日本語では高忠実度を意味する。インテグラーレは、イタリア語で完全版といった意味だ。

ランチアの高性能モデルのアイコンになったのが、象のロゴ。創業者のジャンニ・ランチア氏によれば、象は一度走り出すと誰にも止められないため選ばれたらしい。

6度のマニュファクチャラーズ・タイトル

ラリーマシンにチューニングされたデルタは、1987年から1989年の世界ラリー選手権でドライバーズタイトルを連取。1991年にも、最新のトヨタ・セリカ GT-FOURを破っている。マニュファクチャラーズ・タイトルは、6度も勝ち取った。

公道用モデルも、人気と足並みを揃えるように1987年から進化を続けた。当初のデルタ HFインテグラーレ 8vは、ギャレットT3ターボで2.0L 4気筒ターボを過給し、185psを達成。5速MTと四輪駆動というパッケージングは、最後まで変わらない。

ランチア・デルタ HFインテグラーレ(1987〜1995年/欧州仕様)
ランチア・デルタ HFインテグラーレ(1987〜1995年/欧州仕様)

1989年には、200psへ増強されたHFインテグラーレ 16Vへバトンタッチ。それまでは左ハンドル車のみだったが、右ハンドル車も提供が始まった。

ちなみに8vと16Vとを見た目で判断する材料の1つが、ホイールボルトの数。前者は4本だが、後者は5本でホイールが固定されている。

1991年、5度目のマニュファクチャラーズ・タイトルの獲得と、ファクトリー・チームでの参戦終了を記念するようにエボルツィオーネIが登場。デルタの過熱ぶりに一層の拍車がかかった。

このエボルツィオーネIでは、2.0L 4気筒ターボエンジンは210psを発揮。ワイドなフェンダーやアグレッシブなバンパー、テールゲート上のウイングなどで視覚的な武装も見事だった。

1993年にはエボルツィオーネIIへバージョンアップ。最高出力は215psへ高められ、アルミホイールのサイズは15インチから16インチへアップしている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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