Jr.スーパーカーの煌き フェラーリ328 ランボルギーニ・ジャルパ ロータス・エスプリ 3台を比較 前編

公開 : 2023.02.05 07:05

フェラーリとランボルギーニが提供していたジュニア・スーパーカー。同時期のロータスとともに、英国編集部が魅力を振り返りました。

例えようがない充足感で満たされる

フェラーリテスタロッサだったら、また違った体験になったはず。矢じりのように尖った328 GTSのフロントノーズが、グレートブリテン島の南西部、チェダー・ゴージの渓谷をすり抜けていく。

ピレリ・タイヤは確実にアスファルトを捉え続ける。左手と左足は、無意識のうちに次のギアを選んでいる。フラットプレーン・クランクで回るV8エンジンの爽快なノイズが、切り立った岩壁にこだまする。

レッドのフェラーリ328 GTSと、シルバーのロータス・エスプリ・ターボ リアウイングはランボルギーニ・ジャルパ
レッドのフェラーリ328 GTSと、シルバーのロータス・エスプリ・ターボ リアウイングはランボルギーニ・ジャルパ

真っ赤に染められた年代物の跳ね馬が、幾重にも続くヘアピンカーブを機敏にこなしていく。速さに圧倒されるほどではないが、例えようがない充足感で満たされる。

対照的にクリーンな刺激といえるのが、ロータス・エスプリ・ターボ。空へ向けて反響するフェラーリ・サウンドを追いかけるように、鋭く静かに駆けていく。

画に書いたようなウェッジシェイプのボディから、アクセルオフの度にウェイストゲートの吐息が溢れる。グレートブリテン島の東部、ノーフォーク州のブランドが誇った技術が落とし込まれている。

クロスプレーン・クランクのV8エンジンが放つ重厚なサウンドで、そんな2台と距離を取るように猛進するのは、ランボルギーニ・ジャルパ。直線基調のワイルドなスタイリングは、サンタアガタ生まれであることを主張する。

豊かなトルクが、滑らかに湧き出る。いかにも加速は伸びやかだ。

1980年代に誕生したジュニア・スーパーカー

1980年代に誕生したジュニア・スーパーカーは、精神的・肉体的苦労の見返りとして幸福を味わえた、それまでのジャンルに新しいスタンダードを設定した。スーパーカーを、民主化させた存在といえた。

イタリア・ブランドの創業者が、究極の高性能モデルを初めに創案した頃、快適なコクピットや使い勝手の良いサイズ、真冬や真夏の順応性にまで意識は巡らされていなかった。しかし文明が進み、量産モデルを作り続けるうえでは不可欠になっていた。

フェラーリ328 GTS(1985〜1989年/英国仕様)
フェラーリ328 GTS(1985〜1989年/英国仕様)

レースでの活躍を絶やさなかったフェラーリだが、経営的に厳しい状況へ追い込まれた1960年代末に、フィアットが株式の50%を取得。乗りやすく売りやすい公道用モデルの必要性は、疑いようのないものだった。

その前段階の提携関係のなかで、両社はF2マシン用のV6エンジンを共同で開発。このユニットを量産化して搭載した、1967年のディーノ206GTは特段運転しやすかったわけではなかったが、それまでのモデルより遥かにドライバーへ優しかった。

フェラーリがF1で優勝した1975年、正式に跳ね馬のエンブレムを付けた小柄なミドシップ・モデル、308をリリース。フィアットの影響を受けながら、イタリア北中部のスカリエッティ工場に年間数千台という量産体制が整えられた。

1986年にはアップデート版となる328が登場。フェラーリは、新しい時代の入り口に立っていた。1988年8月14日、創業者のエンツォ・フェラーリ氏はこの世を去ってしまうのだが。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アーロン・マッケイ

    Aaron McKay

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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