290万円以下のクラシック・スポーツ MGC トライアンフTR4 A 1960年代の2台

公開 : 2023.02.26 07:06

新しいホットハッチと同等以下の値段で、魅力的な旧車が狙えるとする英国編集部。年代毎に6回シリーズでご紹介します。

1960年代後半の英国製スポーツカーの明暗

MGCとトライアンフTR4は、1960年代後半の英国製スポーツカーの明暗を表している。いずれも、先進的とはいえない量産車由来のドライブトレインを美しいボディで包み、1200ポンド前後の英国価格で提供されていた。

TR4は1961年から1967年に約6万9000台が売れ、確実な成功を掴んだ。その内の6万3000台は北米市場へ輸出された。ジョヴァンニ・ミケロッティ氏によるイタリアンなスタイリングが、アメリカ人ドライバーの心を射止めた。

レッドのライアンフTR4 Aと、ホワイトのMGC
レッドのライアンフTR4 Aと、ホワイトのMGC

英国価格はMGBより100ポンド高かったが、滑らかに回る2138ccの4気筒エンジンと、1965年以降は独立懸架式になったリア・サスペンションが価格差を正当化した。基本的にはTR3の進化版だったが、最高速度177km/hを実現していた。

その頃の英国市場では、オースチンヒーレー3000などの大柄なスポーツカーと、1798ccで160km/hを叶えていたMGBといった小柄なスポーツカーの間にTR4は納まった。巧みにモデルギャップを埋めていた。

強化される北米の安全規制がなければ、後の親会社のブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)は、このヒエラルキーへメスを入れなかっただろう。しかし、MGブランドから3.0Lの後継モデルが誕生することになる。

1967年の発表時から、6気筒のTR5とMGCは同じBMC傘下で対立関係にあった。結果として、アンダーステア傾向の強い特性などでMGCの評価は伸び悩み、2年で終了へ追い込まれてしまう。

見た目も、MGBと殆ど変わらなかった。ボンネット・バルジと大径ホイール程度の差だった。

当時の厳しい評価に疑問を抱く能力

今振り返えると、当時の厳しい評価には疑問を抱く。MGBに154ポンドを上乗せすれば、最高速度193km/hと6気筒エンジンが手に入った。フロント・サスペンションはトーションバー式で、MGC独自の設定だった。

確かに、メインベアリングを7枚持つエンジンは、最高出力が5ps落とされたオースチン・ウエストミンスター由来のユニットで回転が鈍い。だが、充分な価格価値を備えていたといえる。

MGC(1967〜1969年/英国仕様)
MGC(1967〜1969年/英国仕様)

他方でTR4の人気が後押しし、6気筒エンジンのTR5はヒーレー3000を失ったドライバーを満たした。1969年までにMGCは8999台しか売れていないが、TR5は1967年から1976年までに約10万6000台がラインオフしている。

現在、1万8000ポンド(約289万円)を用意すれば、悪くない状態のMGCを英国で探せる。ライバル関係にあったTR5は、同年式では5万ポンド(約805万円)を下らない。

そのかわり、4気筒エンジンのTR4や改良版のTR4 Aなら予算に軽く収まる。6気筒のMGCとは個性が大きく異なるけれど。

TR4はセパレートシャシー構造で、その起源が1950年代にあることをうかがわせる。ウッドパネルのダッシュボードは、豪華で居心地が良い。MGCは、ブラックのレザートリムで仕立てられシックだ。

ゆったり走る特性を活かし、メルセデス・ベンツSLのようにまとめていれば、MGCの運命は違っていただろう。手頃で豪華なグランドツアラーとして。しかし、ヒーターですら15ポンドのオプションだった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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