25台のショーファードリブン シトロエンDS 21 マジェスティ 高貴なコーチビルド 前編

公開 : 2023.03.11 07:05

フランスのコーチビルダー、アンリ・シャプロン社を救ったシトロエンDS。25台が作られた高貴なサルーンを、英国編集部がご紹介します。

コーチビルダーを救ったシトロエンDS

フランスのコーチビルダー、アンリ・シャプロン社は、シトロエンDSのカタログモデルとしてカブリオレ・ボディを手掛けていただけではない。高貴な装飾を丁寧に施した、究極といえるサルーンを10年間ほど生み出している。

パリに自身の名を掲げたワークショップを創設したアンリ・シャプロン氏は、ドラージュやドライエといった名門と肩を並べる名声を、戦前までに築き上げていた。最盛期には350名のスタッフが働き、年間500台ものクルマを手掛けたようだ。

シトロエンDS 21 マジェスティ(1969年/欧州仕様)
シトロエンDS 21 マジェスティ(1969年/欧州仕様)

しかし第二次大戦後、フランス政府は大排気量のクルマに対し税制を強化。特別なボディを仕上げていた国内のコーチビルダーを、窮地に追い込んだ。

加えて、新しいモデルはモノコック構造へ進化していった。独自のボディを載せられるセパレートフレーム構造は減少し、アンリ・シャプロン社も事業の変革に迫られることになる。

そこへ救世主のように登場したのが、1955年の上級サルーン、シトロエンDSだ。既に40年近い歴史を有していたコーチビルダーへ、新たなチャンスをもたらした。類まれな技術を活かすことで。

負荷の掛からないアウター・ボディパネル

フランス語で女神を意味する「デエス」と発音が重なるDSは、前輪駆動で、油圧と空気圧で支えるハイドロニューマチック・サスペンションが特徴だった。従来的なシャシーを備えていなかったが、強固なスケルトン構造がボディ剛性を担っていた。

つまり、ボディのアウターパネルが負荷を受け止める必要はなかった。シャプロンはその事実を知り、ビジネスの可能性を発見。DSと、廉価モデルのIDをベースにした2ドアクーペやコンバーチブルを、個人の依頼主へ製作し始めた。

シトロエンDS 21 マジェスティ(1969年/欧州仕様)
シトロエンDS 21 マジェスティ(1969年/欧州仕様)

ル・クロワゼットやパーム・ビーチ、ル・パリ、ル・レマン、ル・コンコルドなど多様な名前が与えられ、年間30台というペースでオリジナル・ボディが仕上げられた。モダンなだけでなく、個性も重んじながら。

ボディの製作には、DSの車両価格以上の費用が求められたが、クライアントは速さや付加価値などには強い関心を示さなかったようだ。基本的に、メカニズムへ手が加えられることはなかった。

それから数年後、シャプロンはシトロエンのデザイナー、フラミニオ・ベルトーニ氏との共同でDSカブリオレを製作。ニッチな市場へ正式にモデルを提供するため、ライセンス契約を結ぶに至った。

1961年にはシトロエンと正式に手を組み、カタログモデルとなるコンバーチブル、デカポタブルDSをリリース。ドアやルーフ、リアフェンダー、インテリアなどを装備しないスケルトン・プラットフォームを土台に、1971年まで1365台が製造されている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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