V12エンジンでFRの2+2 フェラーリ365 GT4 2+2 400 GTi 412 対極の3台 前編

公開 : 2023.03.12 07:05

販売面で成功を収めた、V型12気筒のFRで2+2のフェラーリ。家族で乗れるグランドツアラーを、英国編集部が振り返ります。

純粋さを重んじる人の反応は冷ややか

1970年代から1980年代のフェラーリへ商業的な成功をもたらした、365 GT4 2+2に400、412という一連のモデル。後の4シーターモデル、456の3256台と比べれば合計2897台は驚くほどの数ではないが、当時としては記録的な売れ行きだった。

改良を加えながら17年も生産が続き、現在でも同社最長のモデルライフを誇る。フロントにV型12気筒エンジンを搭載する4シーターモデルは、レーシングカーの直系とは対極にあるフェラーリといえるが、気品ある趣で特定のドライバーを魅了した。

ダークブルーのフェラーリ365 GT4 2+2と、ロッソ・チェリーの400 GTi、ブラックの412
ダークブルーのフェラーリ365 GT4 2+2と、ロッソ・チェリーの400 GTi、ブラックの412

当初は、その頃のラインナップでは最も高価で、乗る人を選ぶ跳ね馬でもあった。1973年の365 GT4 2+2の英国価格は1万2900ポンドで、365 GTB/4、デイトナより2000ポンドも高かったほど。

ところが、生産終了後は取り引き価格が急落。多売だったことで希少性には欠け、維持費は高く、流行遅れのスーパーカーとして評価は軽んじられた。V型12気筒のクラシック・フェラーリだが、現在でも比較的現実的な価格で売買されている。

ブランドの高貴なアイデンティティから逸脱したように受け止められ、純粋さを重んじる人からの反応は、発表時から冷ややかだった。1976年に400 オートマティックが発売された時も同様。実用的な4シーターのフェラーリは、本物ではないとみなされた。

それでも、北米市場を中心に驚くほど良く売れた。カリフォルニアのおおらかなドライバーへ、見事に歓迎されたのだった。

365 GT 2+2より小柄ながら後席空間は拡大

パワーステアリングとセルフレベリング・サスペンションを備えた、クーペの365 GT 2+2は1968年から1971年に提供されていた。その後継モデルが、1972年発売の365 GT4 2+2に当たる。

ベースとなったシャシーは、GTC/4のもの。楕円形のパイプを組んだチューブラーフレームに、ダブルウイッシュボーン式のサスペンションという構成は継投された。

ダークブルーのフェラーリ365 GT4 2+2と、ロッソ・チェリーの400 GTi、ブラックの412
ダークブルーのフェラーリ365 GT4 2+2と、ロッソ・チェリーの400 GTi、ブラックの412

だが、先代から大幅な改良が加えられていた。特に、365 GT 2+2より全長を縮めつつホイールベースを約50mm伸ばし、後席側の空間が拡大されている。

車重は1500kgで、ボディサイズはジャガーXJ6とほぼ同等。左右のタイヤの間隔、トレッドが拡大され、上下方向の空間を確保するためルーフラインはフラットで長い。前後のオーバーハングは適度に切り落とされている。

スタイリングは、ピニンファリーナに在籍していたアルド・ブロヴァローネ氏が担当。エッジの効いたシャープなフォルムに、黒く大きなポリウレタン製バンパー、リトラクタブル・ヘッドライトなどを備え、308 GTBなどとの共通性が香る。

ボディはピニンファリーナ社のトリノ工場で成形され、塗装を終えてマラネロの工場へ届けられた。1台がラインオフするまで、約2週間が投じられた。

エンジンは、モデル名に「4」が付く通り、ショートストローク型の4.4Lクワッドカム・コロンボ・ユニット。4シーターのフェラーリとして初めて、2+2のGTC/4が積んだ、デチューン版のウェットサンプ・ティーポ・ユニットとは異なる。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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