むき出しのオイルクーラー NSU 1000 TTS 1960年代のジャイアントキラー 前編

公開 : 2023.06.18 07:05

多くの人の記憶から消えてしまった、リアエンジンのNSU 1000。最終進化形といえるTTSを英国編集部がご紹介します。

容姿からは想像し得ないエネルギッシュさ

短いトンネルへ差し掛かる。小さなクルマが、散弾銃のような爆音を反響させる。こんな陽気にも関わらず、近隣のビルへ閉じこもって働くサラリーマンの耳にも、届いていることだろう。

車内には、開いた窓から排気ガスの煙が流れてくる。ブラック・ビニールのインテリアが、陽光で照らされ熱を帯びている。NSU 1000 TTSのアクセルペダルを徐々に傾ける。僅かなくすぶりを経て、さらに数mm傾けると、弾けるような加速が始まる。

NSU 1000 TTS(1969年式/欧州仕様)
NSU 1000 TTS(1969年式/欧州仕様)

何度も繰り返したくなる、悦に入る体験だ。これで最後にしよう、と頭の中では考えるが、体が無意識に動いてしまう。チャーミングな容姿からは想像し得ない、エネルギッシュさだ。

オレンジ色の1000 TTSを記録に残そうと、路肩で見物する人がスマートフォンを向ける。接近すると、想像以上の轟音に誰もが驚く様子を隠さない。

筆者のサーモンピンクのシャツは、汗でずぶ濡れ。写真撮影のために10分ほど窓を閉めて走らせたが、真夏にボイラーの前にいるような、酷い時間だった。

出発した場所を正確には記せないが、ポルトガル・リスボン郊外にある工業地帯の一角。といっても、周辺で労働に励んでいる人には、サウンドで気づかれているに違いない。

1000 TTSのオーナーは、マヌエル・フェラオン氏。世界で最も素敵な紳士コンテストがあったら、きっと彼は上位に入賞するだろう。熱心なカーコレクターで、フェラーリやアストンマーチン、マセラティなどを複数台所有している。

1960年代のジャイアントキラー

ACコブラ 427にフォードGT40、ロータスやローラのレーシングカー、グループB時代のラリーマシン、数え切れないほどのアバルトも、彼のガレージへ美しく並んでいる。そんな素晴らしい建物の入口側に、オレンジ色のNSUが停まっていた。

見事なコレクションのなかで、エキゾチックさでは上位にランクインしないかもしれない。それでも、ドイツ生まれのアバルト的な存在感を、強烈に放っている。近年では多くの人の記憶から消え、話題に登る機会も限定的だが、称えるべき価値はあると思う。

NSU 1000 TTS(1969年式/欧州仕様)
NSU 1000 TTS(1969年式/欧州仕様)

1000 TTSは、1960年代のジャイアントキラーといえた。レーシングカー然としていないスタイリングでありながら、参戦規定を満たすために作られたホモロゲーション・マシンでもあった。

ベースを遡ると、1961年に発売されたNSU プリンツ4へ辿り着く。リアエンジンの小さな2ドアサルーンで、1000 TTSはその最終進化形といえた。

当初、プリンツ4のリアアクスル直上に載ったエンジンは、598ccの空冷直列2気筒。シングルだが、オーバーヘッド・カム(SOHC)のヘッドが自慢だった。

1962年になると、NSUはホイールベースを延長した直列4気筒エンジン仕様を投入。フロントとリアのデザインへ手を加え、プリンツ1000としてラインナップを拡充する。

リアに搭載された1.0Lエンジンは同じく空冷で、45度傾けられていた。アルミ製のSOHCヘッドが組まれ、高い回転域まで躊躇なく吹け上がる個性を備えていた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    リチャード・ヘーゼルタイン

    Richard Heseltine

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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