ジャーナリスト (国内)
1947年生まれ。1971年、青学大卒業と同時に『CAR GRAPHIC』編集部に。同誌ではスポーツカーの試乗記などを手掛け、FJ1600などのレースにも参戦、優勝経験数回。1985年、同社を退社、フリーランスのモータージャーナリストになり、今日に至る。『ポルシェ911全仕事』等、単行本多数。旧いスポーツカーに目がなく、愛車は1962年ポルシェ356B、他。facebookフォロワー多数!
1956年生まれ。子供のから航空機を筆頭とした乗り物や機械好き。プラモからエンジン模型飛行機へと進み、その延長で中学を終える頃に白金サーキット通い。スロットレーシングを軸にした交友関係から自動車専門誌業界へ。ちなみに業界内ニックネームのパンダは白金のレース初出場時のクルマのカラーリングに由来する。寄稿していた編集部の勧めもあって大学卒業と同時に自動車評論家として自立。バイヤーズガイドを主体とするが、三つ子の魂は理屈ぽいようで「機械の中に刻み込まれたメッセージの解読こそ自動車評論の醍醐味だ!」と思っている。
1959年生まれ。慶應義塾大学文学部英米文学科卒業。株式会社二玄社(にげんしゃ)で自動車とカルチャーを融合させた「NAVI」の編集に携わる。1999-2001年、編集長。翌02年より、日本で最も歴史ある自動車誌「モーターマガジン」(モーターマガジン社)の編集長に。同年秋より「Food and Style」を謳うグルメ誌「アリガット」(IMAGICAパブリッシング)の編集長に。2004年よりフリーランス。
1963年生まれ。青山学院大学卒。自動車雑誌編集部を経て、モータージャーナリストとして独立。スーパーカー大王の異名を持つ。フツーのモータージャーナリストとして試乗記事を多く自動車雑誌、自動車Web媒体に寄稿するが、特にスーパーカーに関する記事は得意。
1968年生まれ。大学卒業後、ネコ・パブリッシング入社。カー・マガジン等で編集作業に携わるうちに3年遅れで入社してきた後藤比東至と運命的な出逢いを果たす。97年、二人でモンキープロダクションを設立するべく独立。現在はモータージャーナリストとして「週刊プレイボーイ」「AUTOCAR DIGITAL」「○○のすべてシリーズ」他、多数の雑誌、Web等で活躍中。
1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当する。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリストとエディターとして活動中。’50〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトを得意とする。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。
1972年生まれ。カー・マガジン編集部に12年在籍し、2005年からモータリングライターとしての活動をスタートさせている。あらゆる輸入車、ヒストリックカー、レーシングカーのインプレッションを得意としている。カントリーサイドの森の中に棲み、薪を割って暖をとり、畑を耕して野菜を時給するカントリーライフの実践者でもある。愛車はメルセデス2台、古いMG2台、あとは軽トラ。
1973年生まれ。立教大学在学中に雑誌編集部のアルバイトを経験、卒業後もその魅力が忘れられずに百貨店からネコ・パブリッシングへ転職。Daytonaやカー・マガジン、ジェイズ・ティーポなどの編集部に所属し、2013年に独立。現在はフリーランスのエディター&ライターとして活動する傍ら、季刊誌「Honda Style」の編集長も務める。愛車は2006年式ホンダS2000と1965年式フォード・マスタング・ファストバック。趣味は自動車やオートバイのほかスポーツ全般。
1971年生まれ。デジタルカメラの性能が著しく向上したことにより、自ら写真まで撮影するようになったが、本業はフリーランスのライター兼エディター。ミニチュアカーと旧車に深い愛情を注いでおり、1974年式アルファ・ロメオGT1600ジュニアを1998年から愛用中(現在のボディカラーは水色)。2児の父。往年の日産車も大好きなので、長男の名は「国光」。
1969年生まれ。1990年に全日本F3、1991年にはフォーミュラ・ヴォグゾールに参戦。そして1993年、1994年には日本のトップ・フォーミュラであるF3000に参戦。1996年以降は、全日本GT選手権(現SUPER GT)に参戦する。2002年から2005年までの4年間は三船剛の名前で、マッハ号カラーのマシンで参戦した。現在は、レース活動の傍ら、自動車媒体への寄稿も多い。
AUTOCAR.CO.UK スタッフ
オフィスの最も古株だが好奇心は誰にも負けない。新しく独特なものなら何でも好きだが、特に最近はとてつもなくエコノミカルなクルマが好き。クルマのテクノロジーは、私が長い時間を掛けて蓄積してきた常識をたったの数年で覆してくる。週が変われば、新たな驚きを与えてくれるのだから、1年後なんて全く読めない。だからこそ、いつまでもフレッシュでいられるのだろう。クルマも私も。
草レースからWRC、オートグラスやF1まで全てのレースに自信あり。Autosport誌とMotorsport Newsで10年以上のキャリアを積んだことが理由である。What Car? のエディターからAUTOCARに移籍。その後さらにWhat Car? に戻ってAUTOCARへ。振り返ってみると結構行き来している。
自動車に初めて触れたのは、父が買ってくれた赤いヴォグゾール・シェベットだが、もっと古い時代のモータースポーツが好きだった。AUTOCARに入社するまで14年間もモータースポーツ・ニュースで働いたのもそんな理由からだ。週末はコーニッシュの荒野やウェストカントリーまで足を伸ばす。先日ノルウェイでクラッシュしたことがきっかけで、クルマの構造にも興味をもちはじめたところ。
ニュース担当。カモフラージュされた試作車や、メーカーのボスが新型車と記念撮影している風景が何より好き。AUTOCARのオフィスがあるテディントンと実家のイースト・アングリアの400kmの往復が多く、年間走行距離はオフィスの誰にも負けない。ディーゼル×レザー・シート×ATの組み合わせのクルマがあれば真っ先にキーを奪うことに決めているが、ホットハッチもまた同じである。
AUTOCARのロード・テスト部門を率いる。最近は動画部門のドライバーとしての仕事も多い。愛車はランドローバー・ディフェンダー。カート競技とスモールカー、大型バイクが何よりも好き。
AUTOCARの入社は2003年。ニュース部門、企画部門、ウェブ部門を経験し、ようやくロード・テストのチームに。ほとんど毎日ブレーキのディスク径やボア×ストローク、制動距離の計測に費やしている。ブラバス・ロケットで365km/hを出したり、電気自動車のミニで805kmを走ったり……。つい最近、10万円そこらのフィアット500をノリで買ったばかり。
ありったけのバイト代をホットハッチにつぎ込んだことがすべての始まりだった。最初の職業は消防士。街中の火を消しまくった。とある消防車のシフト・パターンが嫌になり、自動車ジャーナリストの世界にダウン・シフト。ここでも ‘現場’ の仕事を好んでいる。相変わらず、大きなエンジンをねじ込んだ小型車が好き。ケータハムのカタログを見ながら過ごす週末も。
2006年、写真のエディターとしてキャリアをはじめた。その後、ウェブのレポーター、ロード・テスター、フリーランスのライターとなり、What Car? のエディターとなった。メトロ6R4、ケータハム・スーパースポーツ、日産GT-Rは ‘買い物リスト’ に入っている。同時にMPVなどパッケージングを最優先させたクルマも好き。
車輪がついた乗り物と、物事を根気よく調べることが好き。初めての愛車やトライアンフ。それから30台を超えるクラシックカーとパフォーマンスカーを乗り継いだ。コヴェントリーで自動車工学を学んだこともあり、最新のテクノロジーやシステムに興味がある。にも関わらず、ジープとコルベットに並々ならぬ愛情を注いでいる。
ロード・テスト部門に所属。ジャガーの技術者の見習いとして働いた後に、ロールス・ロイス、フェラーリ、マセラティを販売するディーラーの営業も経験したことがある。好きなものは80年代と90年代のクラシックカーであり、他にMotoGPやF1に興味がある。カートの運転は三度の飯より好き。
AUTOCARに入社したのは2011年。大学でジャーナリズムを学んだあと、あらゆる媒体に寄稿していた。専門領域は自動車そのものだけでなく、流通、供給連鎖など多岐にわたる。移動のために運転していない場合は、たいていサーキットや峠を攻め込んでいる。最新のテクノロジーと古いアメリカン・マッスルが特に好き。
AUTOCAR.CO.UK 契約ライター
ドイツの自動車産業のエキスパート。シュトゥットガルトにあるメルセデス・ベンツHQから徒歩10分のところに住んでいる。生まれ故郷であるオーストラリアに帰らないのは、大好きなアウトバーンがないからだ。
“運転すること、英語を書くことに関する能力は限られているということを悟った” とフランス生まれの本人は言うが、誰もが認めるパーフェクトなロードテスト・ライターである。
かつてはブリティッシュ・レイランドで働いていたが、いまやAUTOCARの古株のひとり。あらゆるスーパーカーを片っ端から乗ったにも関わらず、こよなく愛しているのは愛車のトライアンフTR7だ。
もともとはマウンテン・バイクのプロダクト・デザイナー。1990年に “クルマの方が面白いじゃん!” と開眼。それ以降、クルマに関する記事を書きつづけている。
フォトグラファー
1962年生まれ。はじめて買ったクルマは、ジムニーSJ30F。自動車メーカーのカタログを撮影する会社に5年間勤務。スタジオ撮影のノウハウを会得後独立。自動車関連の撮影のほか、現在、湘南で地元密着型の写真館を営業中。今の愛車はJB23。
1964年生まれ。1984年東京工芸大学短期大学部、写真技術科卒業後、八重洲PRセンター入社するも86年にF1、ルマン24時間を撮影後何かのスイッチが入ったらしく退社。フリーとなり国内外のレースを精力的の撮影。91年に撮影したDTMにより、また何かのスイッチが入ったらしくどっぷりドイツ漬けの日々を送る。国内外の自動車メーカー、用具メーカー、雑誌等の撮影を手がけ、現在は撮影のみならず、CS放送でのレース解説や雑誌への執筆も行っている。
1962年生まれ。
1967年生まれ。大阪写真専門学校卒業後、都内のスタジオや個人写真事務所のアシスタントを経て、1994年に独立してフリーランスに。以後自動車専門誌を中心に活躍中。走るのが大好きで、愛車はMR2(SW20)・49万キロ走行のシビックタイプR(EP3)・レヴォーグ2.0GT。趣味はスノーボードと全国のお城を巡る旅をしている。
1962年生まれ。映像製作プロダクション「マグモブ・クリエーション」代表。雑誌編集者から映像製作へと転身した異色の経歴を持つ。ここではカメラマンとしてカテゴライズされているものの、本来は映像の編集がメインの仕事。もちろん、カメラマンとして動画撮影も行う。主にクルマ関連の映像を手がけ、CS放送やDVDなどで作品を観ることができる。
AUTOCAR JAPAN スタッフ
1949年生まれ。趣味の出版社として知られるネコ・パブリッシングのファウンダー。2011年9月より雑誌AUTOCAR JAPANの編集長を務め、2012年1月よりWeb版AUTOCAR JAPANの編集長も兼務する。出版業界での長期にわたる豊富な経験を持ち、得意とする分野も自動車のみならず鉄道、モーターサイクルなど多岐にわたる。フェラーリ、ポルシェのファナティックとしても有名。
1975年生まれ。2013年にCLASSIC & SPORTS CAR日本版創刊号の製作に関わったあと、AUTOCAR JAPAN誌編集部に加わる。クルマ遊びは、新車購入よりも、格安中古車を手に入れ、パテ盛り、コンパウンド磨きで仕上げるのがモットー。ただし不器用。
1991年生まれ。親が買ってくれた玩具はミニカー、ゲームはレース系、書籍は自動車関連、週末は父のサーキット走行のタイム計測という、いわばエリート・コース(?)を歩む。学生時代はフィアット・バルケッタ→ボルボ940エステート→アルファ・ロメオ・スパイダー(916)→トヨタ86→アルファ・ロメオ156(V6)→マツダ・ロードスター(NC)→VWゴルフGTIにありったけのお金を溶かした。ある日突然、編集長から「遊びにこない?」の電話。現職に至る。