【ミドシップ化は必然か?】 ブランドの流れからコルベットの歴史を俯瞰する
公開 : 2024.10.23 11:45 更新 : 2024.11.02 10:20
2020年にミドシップ・レイアウトを採用しデビューした8代目シボレー・コルベット。E-Rayと呼ばれる電動化モデル追加で注目を浴びる中、これまで全世代のコルベットを試乗してきた吉田拓生が、ミドシップ化の必然性を探ります。
1970年代の日本に響いたコルベット
ミドシップ化され電動化までされた、アメリカン・スポーツカーの代表であるコルベット。今回は8世代全てのモデルに触れたことがある筆者が、最新のE-Rayとコンバーチブルをドライブしながら、コルベット・ブランドの流れに思いをはせてみた。
『Corvett 1954~あなた~とどこへでも行く~』とユーミンと来生たかおが歌いあげる。昔は歌詞の意味もよく考えず聞き流していたのだが、もちろんそれは曲名にもあるとおり、『コルベット1954』。つまり初代コルベットのことを指している。
そういえばこの曲が収録されたユーミンのアルバム『流線形’80』のジャケットで星空に浮かんでいるようなスポーツカーも、初代コルベットをブリキのおもちゃ風にしたものだった。
1978年の日本にとって、初代コルベットは少し肩の力が抜けたドリームカー。そういえば『真っ赤なポルシェ~』も同じく1978年リリースだった。当時はまだ輸入車がちょっとした憧れの対象であり、それが歌詞の中で粋な情景を作り出すことができたのである。
だがノスタルジーたっぷりの流線形コルベットは初代で終わり。2代めからはワイルドさも身に着け、サーキットでもGMの威信を懸け、コブラ等々と戦いはじまることになる。そして今日のコルベットは、触れたらケガをしそうなほど尖った造形が目を引く。代変わりする毎に鋭くなっている感じ? さらにミドシップ化でグッとヨーロッパ的になった感も強い。はっきり言ってしまうとフェラーリ的……。果たしてこれでいいのだろうか?
円熟のFRレイアウト、実は停滞?
結論から書けば、それでいいのである。コルベットの生みの親として知られるGMのデザインチーフにして副社長を務めたハーリー・アールが、自らのガレージに数台のフェラーリを収めていたことは有名な事実。そもそも戦後のアメリカン・スポーツカーは、ヨーロッパ車の影響を強く受けた。
初代コルベットがアメリカ車としてはコンパクトで軽かったのはそのためだ。またヨーロッパのそれに比べれば安楽にドライブでき、安価で耐久性が高いことも欠かせない。歴代コルベットは北米マーケットにおいて必然的な1台だったのだ。
2代目に進化する頃には既にアールはGMを去っていたが、早々と流線形に別れを告げたあたりはデザイナー主導の感が強い。というのもデザイナーとしてはキープコンセプトほど辛いものはないからだ。ガラッと雰囲気を変えてしまった方が目新しさを演出できる。
だからもしアールのような権力を持ち、ヨーロッパ車に憧れを抱いたデザイナーが関わっていれば、コルベットはもっと早くにミドシップ化していたと思われる。C5からC7までのコルベットはFRモデル円熟期と言えば聞こえはいいが、停滞していた感も否めない。デザイナーとしては”もう勘弁”だったのでは?
そんなタイミングでレース部門も同じことを訴えたに違いない。コルベットが今日のような本格ル・マン参戦を企てたのは、レース用の『C5-R』を仕立てた5世代目から。GTレースはベースモデルの特性に対し主催者が色々と忖度してくれるわけだが、それにしてもいよいよフロントエンジンではキツいぞ、となったのである。