【B7ターボで始まった日本の歴史】最後のモデルB3&B4GT発表で気になるアルピナの未来

公開 : 2025.03.01 12:05

ニコル・レーシング・ジャパンは自動車メーカーとしてのアルピナ最終モデル、B3GTとB4GTのメディア向け内覧会を実施しました。2025年末でアルピナの商標がBMWへと移るため、この2台が最後のモデルとなります。内覧会に参加した内田俊一のレポートです。

アルピナ始まりのとき

ニコル・レーシング・ジャパン(以下ニコル)は自動車メーカーとしてのアルピナ最終モデル、『BMWアルピナB3GT』と『BMWアルピナB4GT』のメディア向け内覧会を実施。その会場にはニコルが最初に輸入した『BMWアルピナB7ターボ』や、アルピナが自動車メーカーになる前のビジネス、事務機器メーカーだったころのタイプライターも展示されていた。

ニコル・グループ元会長のC.H.ニコ・ローレケ氏は8年ほど続けて来たレーシングドライバーを引退し、1977年に新たなビジネスをスタートさせた。ほぼ時を同じくしてアルピナもレーシングチューナーから自動車メーカーに変わろうとしていた時期でもあったことから、ニコルはアルピナの輸入を開始。そうして1979年、日本におけるアルピナ第1号車となる『B7ターボ』が輸入された。その個体そのものが今回展示されたクルマである。

1979年、アルピナ日本第1号車となる『B7ターボ』が輸入された。写真は今回展示されたその個体そのもの。
1979年、アルピナ日本第1号車となる『B7ターボ』が輸入された。写真は今回展示されたその個体そのもの。
    小林俊樹

1978年のフランクフルト・モーターショーで発表されたB7ターボは、当時の5シリーズ(E12)の3リッタービックシックスをベースに、最大ブースト0.85バールのターボを装着。パワーは300bphを発揮し、トルクは462Nmに増加させた。トランスミッションはE23(745i)用のゲトラグ製5速マニュアルに換装。結果として最高速は250km/hを記録し、最速セダンとうたわれた。トータル149台が生産されたと伝えられている。

アルピナ社のタイプライター

もうひとつ、会場には記念すべき1台が展示してあったのでご紹介したい。それはDr.ルドルフ・ボーフェンジーペン(アルピナの創業者であり、ブルカルト・ボーフェンジーペン氏の父)が創業した事務機メーカー、アルピナ社のタイプライターだ。

この工場でブルカルトは、1962年にデビューしたBMW1500(ノイエクラッセ)のシングルキャブレターをウェーバー製ツインキャブレターに換装。『アルピナ・ユニット』と呼ばれたこのツインキャブレターをキット化して販売したのが、自動車ビジネスのスタートとなる。

事務機メーカーとしてのアルピナ社タイプライター。世田谷と青山のショールームに展示されている。
事務機メーカーとしてのアルピナ社タイプライター。世田谷と青山のショールームに展示されている。    小林俊樹

このアルピナ・ユニットは性能だけでなく信頼性も高かったことからBMWの保証が受けられるようになったことで、ビジネスは順調に成長。1965年に『アルピナ・ブルカルト・ボーフェンジーペン合資会社』が設立されたのである。

最後に相応しいクルマ

今回B3GTとB4GTの日本での内覧会を受け、アルピナのCEO、アンドレアス・ボーフェンジーペン氏は次のようにコメントしている。

「アルピナの3シリーズと4シリーズは、我々のラインナップの中でも、常に基盤であり最も重要なモデルです。そして顧客の間でも最も人気のあるモデルです」

アルピナのCEO、アンドレアス・ボーフェンジーペン氏はドイツよりビデオレターを寄せた。
アルピナのCEO、アンドレアス・ボーフェンジーペン氏はドイツよりビデオレターを寄せた。    小林俊樹

そして、B3GTおよびB4GTは、「コンパクトでエレガント、かつダイナミックです。新しいスタイリング要素(専用色のオロテクニコと呼ばれるデコラインなど)が加わり、フレッシュでモダンな印象を与えつつも、アルピナの不朽の魅力であるさらなるパワー、強化されたパフォーマンス、そして洗練されたドライビングエクスペリエンスを持っています。

これらの新しいモデルは単なるクルマではなく、過去60年間にわたって私たちが築き上げてきたすべての集大成であり、皆さまの心に残るものになると確信しています」と最後に相応しい魅力あふれるクルマに仕上がっていることへの自信を伺わせた。

また、ボーフェンジーペンCEOは、「アルピナ車への需要はこれまでにないほど高まっています。実際、日本におけるアルピナ車の受注は記録的なものとなっており、まさにアルピナ車が愛され、賞賛され続けていることの証しです。

日本は私たちにとって最も重要な地域のひとつであることは間違いなく、私たちのクルマが日本のエンスージアストたちの心に強く響いていることを誇りに思います」とコメントした。

記事に関わった人々

  • 執筆

    内田俊一

    日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験を生かしてデザイン、マーケティング等の視点を中心に執筆。長距離試乗も得意であらゆるシーンでの試乗記執筆を心掛けている。クラシックカーの分野も得意で、日本クラシックカークラブ(CCCJ)会員でもある。現在、車検切れのルノー25バカラとルノー10を所有。
  • 撮影

    小林俊樹

    Toshiki Kobayashi

    1964年生まれ。1985年よりグラフィティにてカメラマン活動をスタート。10年ほど在籍し、その間にライディングスポーツ、レーシングオンなどレース専門誌、レーススポンサー、鈴鹿サーキットのオフィシャル撮影を担当。1995年にはアーガスへ入社、北畠主税氏を師事して13年ほど在籍。自動車のカタログや専門誌、ライフスタイル誌などの撮影を担当。その後2009年にフリーランスとなり、現在に至る。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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