VW I.D. Rパイクスピーク コースレコード樹立なぜできた? 背景とは
公開 : 2018.08.05 10:10
運命の朝 予期せぬ待機
6月24日の日曜日、午前10時を迎えるころには、デュマにも結果は予想できなくなっていたが、その朝は予定どおりだった。早朝の霧は消え、空は明るく、パイクスピークに向かっているはずの嵐も、その到着はデュマのアタックが終了したはるか後になるだろうと思われた。
予定よりは1時間ほど早かったが、デュマはすでに、バッテリー温度を適正に保つため、I.D. Rパイクスピークがテント内に置かれている、フォルクスワーゲン・モータースポーツのサービスエリアの裏に座り込んでいた。うつむき気味に、水とコーヒーを少しづつ飲みながら、デュマは、I.D. Rに乗りこむまでの間、パイクスピークの156のコーナー全てを頭のなかでシミュレーションしていたのだ。
そして、彼は待った。
2輪のライダーが走行中にクラッシュし、救急車へと運び込まれた。ヘリコプターによる緊急搬送が要請され、観客を不安にさせていた。フォルクスワーゲン・チームも、I.D. Rのバッテリーとタイヤの温度を完ぺきに保ちつつ、待機することを余儀なくされた。そして、その間に、再び雲がパイクスピークを包みはじめたのだ。
「クルマのなかで45分間待ち続けました」とデュマは思い返す。「まるでル・マンのスティントの様でしたが、ル・マンとは違いドライビングはしていませんでした。クルマから一度降りた方が良いのかどうか悩みました。スタッフは雲を見つめていましたが、わたしにはテクニカル・チーフのFX(フランソワ=ザビエル・ドメゾン)の苦渋に満ちた表情が見えたので、『おい、おい、面倒なことになりそうだぞ』と思ったのです。そして、もしクルマを降りたら、わたしもプレッシャーを感じることになると思い、クルマのなかでそのまま待機することにしました」
午前10時過ぎにデュマの名がコールされ、ようやくこの待機状態から解放された。金曜日のデビルズプレイグランド同様、デュマは前走者を待った後でスタートしていった。フライングスタートラインを通過するまでに、速度は219km/hに達していた。最初のコーナー出口で待ち構えていると、I.D. Rが電光石火の速さで通り過ぎていったために、その独特なサイレン音もほとんど聞こえないほどだった。あまりの速さに観客も直ぐには事態が呑み込めず、歓声が遅れて沸き起こった。