【労働者のFFアルファ】アルファ・ロメオ・アルファスッド 希少になった大衆車 前編

公開 : 2021.04.25 07:05  更新 : 2022.08.08 07:31

当時のベスト・パッケージング

「そこまで大きなスーツケースが実在するのか、信じられませんでした。しかしフルシュカは、それが載る大きさでなければならないと主張したのです。従うしかありません」

ドライブトレインの設計と生産技術の監修をフルシュカが進める傍ら、イタルデザインがボディのスタイリングと構造設計を進めた。全長4m以下のコンパクトモデルでありながら、アルファスッドの荷室は実際広い。

アルファ・ロメオ・アルファスッド tiクーペ・シリーズ2(1978年)
アルファ・ロメオ・アルファスッド tiクーペ・シリーズ2(1978年)

さらに、標準のXJ6よりリアシートの足もと空間には余裕がある。英国のBMC 1100と並んで、大人4名が快適に乗れる、当時のベスト・パッケージングだろう。

燃料タンクはシート下に置かれ、クラッシャブルゾーンや伸縮性のあるステアリングコラムも採用。10年ほど先取りの安全機能も組み込まれていた。

当初のアルファスッドは4ドア・ベルリーナ(サルーン)だけで、内側からも開けるトランクリッドにはヒンジが露出していた。リアハッチはなく、トランクリッドを開くとリアガラスに当たり、悩まされたオーナーも少なからずいたという。

リアハッチのないボディや折り畳めないリアシートは、1970年代初頭では珍しいものではなかった。ハッチバックのランチア・ベータや、シトロエンGSにも備わっていない。

しかしアルファ・ロメオは改良を諦めなかった。発表から10年後、1981年にハッチバック版のアルファスッドが実現している。余命は長くなかったのだが。

低い位置の平対向4気筒エンジン

アルファ・ロメオが南イタリアにコンパクトモデル用の工場を新設する決断をしたのは、1960年代後半。その頃の主要産業は農業で、地域経済の喚起に対する働きかけが政府からあったことは間違いない。

既にアレーゼの労働力には限界があった。アルファスッドの製造ラインを離れた場所に用意するという方針は、理にかなっている。

アルファ・ロメオ・アルファスッド tiクーペ(1977年)
アルファ・ロメオ・アルファスッド tiクーペ(1977年)

実現には莫大な投資が必要となり、アルファスッド製造のために新しい子会社が作られた。コンパクトモデルの生産を思い立ったのはアルファ・ロメオ自身だったが、新会社の10%はフィンメカニカを名乗る、イタリア政府の産業復興庁がオーナーになった。

政府が介入した自動車製造は、うまく機能することが少ない。新設工場に未経験の従業員を雇い入れ、高度なクルマを量産するというアイデアには、疑問が湧いて当然。しかし肝心のクルマを設計したのは、精鋭を揃えたアルファ・ロメオだった。

前輪駆動とラック&ピニオン式のステアリングラックが、アルファスッドの技術的なハイライト。水平対向4気筒エンジンも、その魅力の鍵を握っている。フロントに低い位置に搭載され、低重心と滑らかなフロントノーズを実現させた。

第二次大戦中にアルファ・ロメオが航空機用エンジンを組み立てていた、ポミリアーノ・ダルコで事業はスタート。1972年から生産が本格的に始まった。ところがストライキを起こしたり、作物収穫の季節になると体調を崩す従業員に悩まされたのだが。

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